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雪舟が描いた国宝『天橋立図』をガイドに日本三景の天橋立を歩く

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宮津市を旅していると、旅館やお土産物屋さんに飾ってある雪舟の『天橋立図』を目にすることはありませんか? 雪舟は日本三景のひとつ天橋立を描いたことがあるんだなぁ……と、漠然と知っている方はいらっしゃると思います。ところがこの絵、実は謎だらけのミステリー絵画だということをご存知でしょうか??

国宝である『天橋立図』は、普段は京都国立博物館が所蔵していますが、10月31日(土)~11月23日(月・祝)まで、宮津市にある京都府立丹後郷土資料館に生誕600年記念で公開されるそうです。『天橋立図』と現在の風景を比べながら町を歩く “雪舟「天橋立図」を旅する” WEBサイトの管理人・森美忠さんに、この絵に隠されたさまざまな「謎」について伺いました。

※サイト内で使用している『天橋立図』は全て京都国立博物館所蔵。
※追記:先日発信した情報の中に誤りがりました。大変失礼いたしました。雪舟生誕600年記念です。

 

天橋立は平安貴族や将軍様も憧れた人気観光スポット

f:id:kyotoside_writer:20180812112357j:plain日本三景のひとつ・天橋立。全長約3.6㎞、幅20~710mにもおよぶ真っ白な砂浜に松並木が続く風光明媚な土地として有名です。しかし、この美しい地を好んだのは我々だけでなく昔の人も同じ。平安時代の都人が歌枕としても数多く和歌に詠み、室町時代には将軍・足利義満が6度も訪れ、文珠山からの眺めを「宇宙の玄妙」と称え、大絶賛したと伝わっています。

 

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国宝「天橋立図」 京都国立博物館所蔵

そんな、みんなの憧れの地、天橋立を描いたのが、室町時代に活躍した水墨画家・雪舟(1420~1506頃)です。雪舟のことはよく知らなくても、小僧時代に自分の涙を使い足で床に描いたネズミが動き出した、という逸話なら知っている人も多いのでは?
一説によると、雪舟がこの『天橋立図』を描いたのは最晩年の82歳頃! しかも当時、住んでいたのは周防(山口県)。天橋立には船で来たとしても80歳前後の方がなぜ、はるばる宮津まで来たのでしょうか? そこまでして風光明媚な場所を描きたかったから……? 謎は深まるばかり。これはいてもたってもいられません。早速、森さんにお話を伺いました。

 

この絵のように見えるポイントがない!?

f:id:kyotoside_writer:20201025130236j:plain森さん:この絵(冒頭の『天橋立図』画像を参照)の驚くべきは、この風景が見えるポイントが実在しないということです。

――えっ、どういうことですか!

海岸線の正確さやポイントの細かさから、この地をくまなく歩いたことは確かだと思うのですが。

――ほんとですね。海岸線なんか現在の写真とそっくり。江戸時代に日本各地を歩いて測量し、精巧な日本地図を作った伊能忠敬もびっくりですね。

そうですよね。ですが、この絵を描こうとすると対岸の粟田半島の山から見ることになるのですが、天橋立を上から俯瞰し、さらに宮津湾が奥まで見える構図にしようとすると上空900mまで上らないといけないんですよ。ところがあの山は200mぐらいしかないのです。

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『天橋立図』の構図に似ていることから「雪舟観」と呼ばれている天橋立雪舟観展望休憩所からの景色

――まさか空を飛んだとか?

山は登ったかもしれませんが、どうも各地を取材してスケッチし、頭の中で天橋立の全体像を思い描きながら、その全貌がわかるように再構築して畳一枚分ぐらいの絵にしているのです。雪舟の画力のすごさを感じさせられますね。
そしてこの絵は完成形ではなく、20枚もの紙を継いで描いた“下絵”なんです。

――これ、完成形ではないのですか!? こんなに美しいのに。

そう。本絵は残念ながら行方不明なんですよ。

★雪舟観スポットについてはこちらを ↓ ↓ ↓

雪舟はスパイだった?!

そして誰がこの絵を発注したのかも、記録が残っていないんです。しかも雪舟の落款(書・絵画などに押す印)もないんですね。ですが、絵のタッチからしてこれは雪舟に間違いないということで国宝に指定されています。

――恐らく雪舟だろうという下描きが国宝ですか……。では雪舟は画家として風光明媚な景色を描きたかったと。

それも謎なところです。ただ雪舟は48歳の頃、パトロンであり周防(山口県)を治めていた大内氏から命じられ遣明船で中国へ渡り、3年間も現地で記録画の作成をしています。帰国してからも美濃(岐阜県)に行ったりしていますから、雪舟は大内氏の命令で諸国の情報を収集して描いていたようですね。ですから雪舟をスパイだという人もいるんですよね。

――なんと雪舟がスパイ活動を!? 当時はカメラがないから絵で描いて報告すると?

ですが、その記録も大内氏側にないのです。もしかしたら宮津をおさめていた一色氏が発注したのか? とも思いますが、一色氏側にも雪舟に絵を発注した記録はないんですね。だから雪舟は宮津に極秘で来ていたのではないか?と言われています。

この絵が描かれたのが1500年頃。ちょうど応仁の乱の後ぐらいですね。まだ世の中が乱れており、大内氏が京に攻め上ってくるのではというウワサもありましたし、逆にいつ一色氏が大内を攻めてくるかも分からない時代です。

――ちょうど『麒麟がくる』の前の時代ですね。でも、記録がないのに、どうして描かれたのがその頃ということが分かるのですか?

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『天橋立図』の中に多宝塔が見えます(左)。現在の知恩寺の多宝塔(右)。

ほら、ここ(上の写真)。智恩寺の多宝塔が描かれていますが、この塔が建てられたのが文亀元年(1501年)なので、それよりも前には描かれていないということなんです。

――なるほど。そうやって見ていくと、いろいろな発見がありそうですね。

 

本当に描きたかったのは天橋立ではない?

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今より寺社や家が多くて、びっくり。

そうなんですよ。よく見てください。他に何か気が付きませんか?

――うーん、寺社仏閣や家が結構、立っていますね。

そう。『天橋立図』といいながら、実は天橋立ではなく、その向こうに見える府中の町並みを描いているんです。
ここに描かれているのは宮津の中でも“府中”と呼ばれる地域です。府中とは奈良~平安時代の律令制で国ごとに置かれた“国府(地方行政府)”があった地のこと。つまり現在でいうと県庁所在地ですね。国府付近には国分寺なども置かれました。また中世には守護所もあったそうで、ここは古くからとても重要な地なんです。

――なるほど。だから、もしかしたらスパイとして重要地域を描いていたと。

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国分寺跡からの眺め。ベンチに座って天橋立を眺めれば、天平人が国府を置いた理由が分かるはず!

実際のところは分かりませんが、もしかしたら軍事目的で府中を描くことを命じられていたのかもしれませんね。
この頃、不審に思われずに自由に旅ができたのはお坊さんだけですからね。

――そうでした。そもそも雪舟はお坊さんなのでした。

道端で絵を描いていたら何奴ってなりますからね(笑)。こっそり来て、着いてから雪舟だと名乗ったかもしれませんね。

――「どうしても見たくて、こっそりきちゃいました」って有名な画家でお坊さんに言われたら歓迎されそうですもんね。それにたとえ軍事目的だったとしても美しい絵にしてしまえばカモフラージュできそう。

そうそう。このような絵なら軍事的に見て、どこの守りが厚そう、薄そうというのが分かりますからね。

 

府中にエリア51があった!?

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赤丸の部分、白壁から左、450mがザックリとカットされています。

謎はこれだけではありません。ここを見てください。今でいう中野地区が約450mにも渡りザックリとカットされているんです。慈光寺の下に白い塀があるでしょ。恐らくこれは一色氏の居城だったのではないかなと思うんですね。これだけ寺社や橋の名前を詳しく書きこんでいるのに、ここだけ何も書き込んでいないのも変ですよね。
そして、ここから左側がカットされているんです。だから想像ですが、十刹安国寺までの間にはなにかしら軍事施設などがあったのではないかなと思うんです。アメリカのエリア51みたいなものですよね(笑)。

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白壁があるのは今の宮津府中小学校の辺り。小学校の擁壁は絵に出てくる壁をイメージして作られています。

――雪舟はわざと描かなかった、と。

そう、これだけ海岸線など刻銘に描いているのに描いていないのは不思議です。もしかしたら一色側か誰かから現場で「絵を描いてもいいけれど、ここは描いたらあかんよ」と言われたのではないかと思います。

府中は宗教都市だった?

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智海が住んだといわれる大谷寺がケーブルカー府中駅の横から登ったところに立っています。

――見ればみるほど面白い絵ですね。そして、室町時代には相当な数の寺社と家が建っていたんですね。

そうですよね。当時、京の都は応仁の乱の後で町が無茶苦茶になっているのに、ここは寺社仏閣が整然と並んで景色が良い地だったんです。私が思うに当時、この地を治めていた一色氏はこの風光明媚な地にミニ京都を作ろうとしたのではないかな……と思うんです。それで素晴らしい町になっているという噂を聞いた大内氏が、自分は行くことができないから雪舟に行って描かせたのではないかな……とも思うんですよね。

――なるほど。これだけ見ると府中は相当な宗教都市ですよね。

当時、籠神社の別当大聖院(だいしょういん)の住職・智海が相当な力を持っていて、この地を宗教の聖地として再構成したいと思っていた節があるんですね。

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井阿弥原作、世阿弥により改訂された能『丹後物狂』の舞台である涙ヶ磯。

ですから雪舟に土地を案内するだけでなく、色々な物語やいわれも話したのではないかなと思っています。というのも、普段は絶対描かないであろう智恩寺近くの涙ヶ磯をわざわざ描いているんです。これは誰かが教えないと描けない。だから相当長い期間、滞在して風景だけでなく物語も織り込もうとした節があります。

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智恩寺のお地蔵様。『天橋立図』にもちゃんと描かれています

――地元の人しか知らないであろう情報が多く盛り込まれている訳ですね。

そうですね。この地にはお寺の他にも、伊勢の天照大神、豊受大神がこの地から伊勢神宮に移されたという丹後一宮元伊勢籠神社、その隣に立つ眞名井神社の裏には古代の祭祀形態である磐座(いわくら)も鎮座しています。ですから軍事目的の特派員として来たかもしれないですが、宗教者として、神仏の聖地としてのこの宗教空間を描きたかったのではないかなとも思うんです。

 

国宝の絵をガイドマップに町を歩く

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十殺安国寺跡。この地の小字名は「安国寺」

――『天橋立図』は情報量が多くて、ずーっと眺めていられますね。

この絵にはこんなにも寺社が描かれているのに、現代ではほとんど残っていません。ところが寺社や建物などの名前は、小字(こあざ=土地の名称)として今も残っていているんですよ。

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“雪舟「天橋立図」を旅する” WEBサイトの管理人・森美忠さん。

――小字に土地の記憶が残っていると。

そう。たとえば 諸山・宝林寺。今はありませんが、小字に法蓮寺の小字が残っています。地下2mのところ中世の地層があるといわれていますが、大体、この辺りにあったんだろうなということは、小字図で透けて見えるんです。ちなみに先ほどの怪しい白壁の辺りは「陣屋」という小字なんですよ。

――なるほど。『天橋立図』と小字地図を合わせると、雪舟が見た室町時代の風景が立ち上がってくるのですね。

そうです。この地は地形が当時とほとんど変わっていませんし、大きなビルがある訳でもありません。この雪舟の『天橋立図』を見ながら町を歩くことで、当時の風景を感じられるんです。つまり、国宝の絵をガイドマップに、絵の中を旅したり町を歩くことができる。これは世界でもなかなかな無いことだと思いますよ。

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――国宝の絵画を見ながら現地を歩く……いいですね!私(ライター)も歩いてみたいです!!

そこで、僕らはパンフレットを作りました。『天橋立図』に出てくる寺社やスポットに僕らが現地説明板を立て、QRコードを読み込めば専用WEBサイトに飛び、さらに詳しい土地の物語を得ることができるようにしたんです。頭の中で当時の風景を描きながら、その場所に行って、安国寺はこの辺りからこの辺りか……と考えたり、雪舟はここを歩いたんだって思いながら、現地を歩いていただけたらと思っています。

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十刹安国寺から北野(天神神社)までの細い道は「天平の古道」とも呼ばれています。

森さんにお話しを伺った後、実際にこの絵に描かれた辺り・元伊勢籠神社から国分寺跡までを歩いてみました。話を聞く前と聞いた後では、私の中で景色の見え方が全く変わっていてびっくり。この景色を室町の人も見たんだ……雪舟も見たんだ……と思うと感慨深く、またこの周辺には寺社がたくさん立っていたんだな、と想像するのも楽しかったです。

そして重大情報!!10月31日(土)から京都府丹後郷土資料館で開催される『天橋立と丹後国分寺』展で、600年ぶりに里帰りした雪舟の『天橋立図』を見てみませんか?
この絵をガイドに府中を歩けば、雪舟が目にした風景が目の前によみがえるかもしれませんよ。

 ■■INFORMATION■■

雪舟「天橋立図」を旅する 
サイトからMAP(パンフレット)がダウンロードできます

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開館50周年記念 特別展『天橋立と丹後国分寺』
令和2年10月24日(土)~12月13日(日)
国宝・雪舟筆「天橋立図」展示期間:10月31日(土)~11月23日(月)
京都府指定文化財「成相寺参詣曼荼羅」展示期間:11月14日(土)~12月13日(日)
天橋立を中心とした地域の地理的・歴史的環境の中で丹後国分寺について考えます。 

京都府立丹後郷土資料館 
京都府宮津市字国分小字天王山611-1
℡0772-27-0230

 

そのほかのイベント

 光のアトリエ~現実と空想のはざまで~
第二期 歴史・文化財とアート表現を融合する幻想的な世界、光のアトリエ。

10月16日(金) 〜 11月23日(月・祝)
様々なアーティストが天橋立をアトリエに「~現実と空想のはざまで~」をテーマに作品を展示します。
オススメ⇒ 丹後国分寺五重塔復活AR

時間:月曜を除く9:00〜16:30(ナイトミュージアム時は20:00まで)
場所:丹後国分寺跡
アートユニットVisibleInvisible +大阪大学大学院・福田知弘研究室
雪舟の絵画からインスピレーションを受け、国分寺跡地に限りなく往時の姿に近い五重塔が出現。雪舟もながめたであろう丘の上から、光に包まれた国分寺と阿蘇海、天橋立の絶景を見渡し、鎌倉から室町時代に見えた風景ともに脈々と続く丹後・宮津の人々の営みを感じてください。

 

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