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大正時代に無くなってしまった幻の藍「京の水藍(京保藍)」を訪ねて

f:id:kyotoside_writer:20200206120343j:plain2020東京オリンピックのエンブレムにも使われている藍色。藍色は古くより日本人が愛してきた藍染めによる色で、世界でも日本を表す色「ジャパン・ブルー」として知られています。その藍染めの原料となる植物の「藍」の栽培は古くより徳島が有名。でも実は全国で生産されており、かつては京都駅の南側一帯でも栽培されていたんですって。でも今では全く生産されていない「まぼろしの藍」となっていました。ところが数年前、藍染め職人の吉川慶一さんが遠く徳島でその、まぼろしの種に出会い亀岡市で栽培。「京保藍」と名づけました。一体、どんな藍なのでしょうか。亀岡の工房を訪ねてきました。

 

偶然にして必然に満ちた、まぼろしの藍との出会い

f:id:kyotoside_writer:20200206120451j:plainこの「京保藍」を育てているのは吉川慶一さん。嵯峨美術短期大学で版画を専攻した吉川さんは卒業後、染織の世界に飛び込み、京都の有名な染織工房で働いた後に藍染め職人として活躍していました。そんな工房で働いていた若かりし頃、染織の専門雑誌で「京の水藍(きょうのみずあい)」という、まぼろしの藍について書かれた記事を目にします。

 

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それによると、かつて京都の東寺から上鳥羽辺りまで「京の水藍」と呼ばれる藍が盛んに栽培されていましたが大正時代、化学染料の輸入や戦争により生産が途絶えてしまったそうで、明治時代の小学校教員の給料が30円、徳島の藍は57㎏35円なのに対し、なんと京藍は57㎏85円だったのだとか。この記事を読んで「その京の水藍って、どんなものなんだろうってずっと思っていたんですよ」。

 

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藍が発酵する時にできる泡は「藍の花」と呼ばれ良い藍である証拠

その後も仕事のかたわら「京の水藍」について調べたりするも全く手がかりがなく月日は流れます。そして60歳になったのを機に「ずっと藍に生活を支えてもらったので、藍に恩返しをしたい。そのためには藍を育て、その藍で染め、後に続く職人や藍農家を増やしたい」と思うように。

 

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藍は空気にふれることで酸化し藍色になる

そのために徳島と同じく藍の一大産地である沖縄を訪れたり、京都府福知山市の藍畑で教えを受けたりと様々な藍の産地を訪れました。そんな中、仲間に「徳島の藍生産者を紹介してもらったので会いに行こう!」 と誘われます。それが、なんと徳島の藍職人で国選定阿波藍製造無形文化財 現代の名工の十九代目藍師 佐藤昭人さんでした。「テレビなどで拝見していても本当に厳しい方で。種を分けていただいたいのですが藍をやり始めたばかりの私に種を分けてもらえるのだろうか、育てさせてもらえるのだろうかと不安でした」。

 

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種を水の中に付けておくだけで芽がでてくる

ところが会って話をしていくうちに、佐藤さんが育てている藍は吉川さんが探し求めていた「京の水藍」ということが判明! というのも佐藤さんのお祖父さんが昭和16年に京都へ訪れた時、「京の水藍」の生産者から種を託されたのです。時は第二次世界大戦真っただ中。非常時に食料ではなく藍を育てていると非国民だと言われる時代です。しかし藍の種は2年植えないと発芽しなくなってしまうのです。そこで佐藤さんのお祖父さんは種を持って帰り大切に育ててきたのだそうです。

 

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たわわに付いた藍の種

その、まぼろしの種が目の前に!! 「お目にかかった時、その場で種はいただけなかったのですが翌朝、佐藤さんから電話があり種を送ってくださったんです」。とはいえ、まだそんなに多くの土地はありません。近隣農家に頼み込み、なんとか土地が用意でき翌月から栽培をスタートしました。
吉川さんが昭和58年(1983年)に見た雑誌に載っていた「京の水藍」。職人として邁進し60歳になり今度は藍に恩返しをしたいと思った矢先に出会うとは! これはもう運命ですよね。そして京都の「京」、保津川の「保」ととって「京保藍(きょうほあい)」という名前を付け、「ほづあい研究所」を立ち上げました。

 

京の水藍は真っ白な花が咲く

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藍の栽培は4月に種を撒き収穫は7、8月。かつて藍は、北は北海道から南は九州まで全国で栽培が行われていましたが、地方で科や品種が異なるんですって。花の色も違い、徳島の藍はピンク色、福知山市の藍は赤、そして京の水藍は「白花小上粉」といい真っ白な花が咲きます。今のところ染まり具合は徳島などのものとそんなに変わらないのだとか。でも今後、研究を重ね色合いが変わっていくかもしれませんね。

 

f:id:kyotoside_writer:20200206120820j:plainそして、なぜ「水藍」と呼ばれるかというと、この藍はお米と同じように水耕栽培で育てられるんですって! 現在、100坪ほどを水耕栽培で育てています。「できれば今後、全部が水藍になればいいなと思っています」と吉川さん。畑いっぱいに、かつての水耕栽培の姿がみられる日もそう遠くなさそうです。

 

抗酸化作用バツグン! 藍は日本のスーパーフード

f:id:kyotoside_writer:20200206121209j:plainところで、ほづあい研究所を訪れた時、最初に出してくださったのがこのお茶。抹茶?いえ、これは藍を挽いて点てたお茶なんです。「昔から藍職人は病気知らずと言われていて、抗酸化作用がブルーベリーの10倍、ブロッコリーの20倍もあるんです。これはきっと藍職人さんたちも食べていたのではないかと思ってお茶にしたんです」。色は藍色なのですがクセがなく、ハーブティみたいな感じ。少し甘味があります。

 

f:id:kyotoside_writer:20200206121214j:plainこのお茶は研究所でも販売していますし、年2回、4月と10月(予定)に開催される「藍茶会」でいただくことができるのでぜひ、味わってみてくださいね。

 

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ほづあい研究所で販売している吉川さんの作品

さて、吉川さんらが京保藍で染めた商品は、ファッションブランドMAISON KITSUNÉや日本のアパレルブランドでも販売。とーっても素敵なので、お店やHPを要チェックです!!

 

f:id:kyotoside_writer:20200206121331j:plainまた、JR亀岡駅内の観光案内所にある「かめまるマート」や京都大河ドラマ館に併設された「光秀大河物産館」でハンドタオルなどを販売。そうそう、京都大河ドラマ館の入り口に展示してある絵巻物の染めも吉川さんの作品なので、訪れた時はぜひ見てくださいね(写真は、京都大河ドラマ館に展示している巻物とは、違うデザインのもの)。

京都大河ドラマ館の記事はこちらから↓↓

 

f:id:kyotoside_writer:20200206121352j:plainさらに研究所では月~金・日曜日に藍染め体験を開催。京都で育ったまぼろしの藍を身近に感じることもできます。時代に翻弄されながらも、よみがえった京都の藍で染めた、優しい藍色。ぜひ手にとってみてください。

 

ほづあい研究所 
京都府亀岡市保津町三ノ坪50
開 9:00~18:00
休 土・第5日曜日、祝日
※4月から「ほづあい研究所」は「京都ほづ藍工房株式会社」に改名

 

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