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【京都歴史探訪】徳川家康/徳川家ゆかりの地を訪ねて

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2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』の情報が続々と公開され、楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。KYOTO SIDEでは今回、徳川家康にゆかりのある京都府のスポットをご紹介していきます。
家康が造営・再建したお城や学校、神社本殿など、伊賀越え以降に家康が関わったスポットをご紹介しますので、ぜひ家康ゆかりの地を巡ってみてください。

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・発熱等の症状(発熱、咳、のどの痛み、息苦しさなどの症状)がある場合は、外出を控えてください。

 

家康公の側室・お亀の方の出身地

徳迎山 正法寺/八幡市

本堂

八幡市にある「正法寺」は、1191年に鎌倉幕府御家人の高田蔵人忠国(たかだくろうどただくに)によって開かれました。忠国の次男が初代住職となり、姓を志水に改め、正法寺は志水家の菩提寺となります。
時が経ち、徳川家康公が伏見城に住んでいた頃、志水家の娘であるお亀の方が家康公の目に留まり1594年に側室にあがりました。家康とお亀の方の出逢いは、このように伝わっています。お亀の方が子ども(以前の夫との子)を行水させていた時に、家康公の大名行列が通りかかります。慌てたお亀の方は、たらいごと子どもを持ち上げました。その姿が家康公の目に留まり見初められた……とのこと。
家康公の側室となったお亀の方は、1600年に後の尾張徳川家初代・義直公を生みました。家康公が亡くなった後は出家して「相応院」となり名古屋へ移住。1630(寛永7)年頃には相応院の寄進によって、正法寺の本堂や唐門、大方丈が建立されました。

境内は期間限定で拝観可能です。本堂や唐門を含む七堂伽藍のほか、重文に指定されている阿弥陀如来坐像や四季折々の景色を見せる庭園など見どころたっぷりですよ。
2022年の公開日は10月22日・23日、11月19日・20日。紅葉の時期、ぜひ訪れてみてください。

■■INFORMATION■■
徳迎山 正法寺
住所:八幡市八幡清水井73
電話:075-981-0012
時間:10:00~15:00
拝観料:700円
公開日:2022年は10月22・23日、11月19・20日
HP:http://shoboji.or.jp/

家康公が開いた学びの寺

圓光寺/京都市左京区

十牛之庭 写真提供:圓光寺

 “額縁庭園”とも称される美しい紅葉が見られる「十牛之庭」(じゅうぎゅうのにわ)で有名な圓光寺。こちらは、1601年に家康公が国内教学を発展させるために、伏見に建立した洛陽学校が起源といわれています。洛陽学校では僧侶・俗人問わず入学でき、多くの学僧や絵師、墨跡文人を育てました。その後、圓光寺は相国寺山内へと移り、さらに1667(寛文7)年に現在の一乗寺の地に移転されました。
当時の圓光寺では活字印刷が行われており、圓光寺版(伏見版)と呼ばれる書物も出版しています。また、展示室では、現存するものでは日本最古となる5万個にも及ぶ木版活字(重要文化財)が見学可能です。

境内の裏手には、家康公を祀る東照宮(写真左)や、家康公の歯が埋葬されていると伝わるお墓(写真右)があります。ここは境内の中でも小高い場所にあるので、京都市街を一望できますよ。
美しいお庭と合わせて、家康公のお墓参りをしてみてはいかがでしょうか。

■■INFORMATION■■
圓光寺
住所:京都市左京区一乗寺小谷町十三番地
電話:075-781-8025(9:00~17:00)
拝観時間:9:00~17:00
拝観料:500円(高校・中学生400円、小学生300円) 
※11月12日~12月4日は要予約。拝観料は1000円(高校生以下500円)、駐車場利用不可になります。
休み:無休
HP:https://www.enkouji.jp/

家康が征夷大将軍の宣下を受けた地

伏見城(伏見桃山城)/京都市伏見区

1594(文禄3)年に豊臣秀吉が築城した伏見城。築城当初は伏見の指月(しげつ)の地に建てられたため「指月伏見城」と呼ばれていましが、大地震により倒壊。1597(慶長2)年に木幡山に「木幡山伏見城」が再建されました。
木幡山伏見城は、1600(慶長5)年の関ヶ原合戦の前哨戦で落城しますが、家康によって再建。1603(慶長8)年に家康は伏見城で征夷大将軍の宣下を受けます。その後、同年に竣工した「二条城」へ拠点を移し、伏見城は廃城となりました。

廃城後、城の遺構は御香宮神社や金地院、豊国神社、養源院など京都を中心とした各寺社へ移築されています。家康が過ごした伏見城の遺構巡りをしてみるのもおすすめです。
ちなみに、現在の伏見城は1964年に建設された「伏見桃山城キャッスルランド(閉園)」の施設として造られた模擬天守があるのみで、往年の姿は見られません(位置も当時とは違う場所に建っています)……少し残念ですが、現在も伏見区のシンボルとして特別な存在感を演出しています。

■■INFORMATION■■
伏見城(伏見桃山城)
住所:京都市伏見区桃山町大蔵45(伏見桃山城運動公園)
電話:075-602-0605
HP:http://www.kyoto-taiikukan.com/
※模擬天守の中、お城の周囲2・3mは台風や地震の影響で瓦が落ちやすい状態のため、立ち入り禁止区域となっています。

家康が築いた江戸幕府の歴史を見守ったお城

元離宮二条城(京都市中京区)

唐門 写真提供:二条城事務所

「二条城」は、1603(慶長8)年に徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛時の宿所として築城しました。
家康は、先述した伏見城で征夷大将軍の宣下を受けた後、京都御所で「拝賀の礼」を執り行い、二条城で正式に将軍の地位についています。豊臣秀頼との会見もここで行われ、後の大坂の陣もここから出陣しています。

国宝 二の丸御殿 写真提供:二条城事務所

家康が築城した当初は、現在の二の丸部分のみでしたが、3代将軍家光の時代に後水尾天皇の行幸にあわせて大幅に拡張・改修し今の規模になりました。徳川家の栄枯盛衰と日本の歴史の移り変わりを見守ってきた二条城は、訪れたい家康公関連スポットです。

■■INFORMATION■■
元離宮二条城
住所:京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
電話:元離宮二条城075-841-0096
時間:8:45~16:00(閉城17:00)
料金:1300円(二の丸御殿観覧料含む)
休城日:12月29~31日※二の丸御殿は1月・7月・8月・12月の毎週火曜日、12月26~28日、1月1~3日 が観覧休止日
HP:https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/

桃山文化の豪華絢爛な装飾は必見

御香宮神社/京都市伏見区

伏見の七名水の一つ、石井の御香水が湧き出る古社「御香宮神社」。こちらの表門は、1622(元和8)年に伏見城の大手門が移築されたものと伝えられています。何気なく通り過ぎてしまいそうですが、4つある蟇股(門の上部にある装飾)には、中国二十四考の物語が彫られているので、立ち止まってじっくり見るのもおすすめ。

表門から参道、拝殿と進むと見えてくるのが本殿です。
実は、御香宮神社は豊臣秀吉が伏見城を築城した際に、鬼門除けの神として城内に移されています。その後1605(慶長10)年、家康が神社を元の地に戻した際に、本殿を造営しました。本殿はなんといっても鮮やかな彫像が特徴的。極彩色で飾られた装飾にはさまざまな動物がいるので、ぜひ観察してみてくださいね。
また、社名の由来となった御香水は本殿前にあり、現在もきれいな水が湧き出ています。家康の歴史を辿るとともに、桃山文化の名残も味わってみてください。

■■INFORMATION■■
御香宮神社
住所:京都市伏見区御香宮門前町174
電話:075-611-0559
時間:9:00~16:00
拝観料:境内自由(石庭見学200円)
休み:不定休
HP:https://gokounomiya.kyoto.jp/

徳川家康を祀る由緒ある東照宮

金地院/京都市左京区

南禅寺の塔頭「金地院」の中興の祖である以心崇伝(いしんすうでん)という僧は、家康公の側近として活躍し、幕府の法律や外交などを担い江戸時代の礎をつくったことから「黒衣の宰相」とも呼ばれていました。
家康公は臨終の際、久能山(静岡)、日光(栃木)、南禅寺金地院の3か所に東照宮を建てるようにと遺言を残しています。その遺言を受け、崇伝は1628(寛永5)年に金地院の境内に東照宮を建立し、家康公の遺髪と念持仏を納めました。

金地院には、名庭師・小堀遠州が作った庭(写真・国の特別名勝に指定)や、京都三名席(※)の1つに数えられる「八窓席(はっそうのせき)」があるなど、見どころが多いお寺です。また、境内には伏見城から移築された方丈があり、こちらには狩野探幽・尚信(なおのぶ)兄弟の襖絵があります。家康公と縁が深い寺院を、じっくり散策してみてください。
※京都三名席……八窓席のほか、大徳寺孤篷庵「忘筌」、曼殊院の茶室「八窓軒」がある

■■INFORMATION■■
金地院
住所:京都市左京区南禅寺福地町86-12
電話:075-771-3511
時間:9:00~17:00(12~2月は~16:30)
拝観料:500円(八窓席と方丈700円)※要予約
休み:無休

約200キロを3日で駆け抜けた!?命がけの帰国旅

伊賀越え/山城エリア

家康が1603年に江戸幕府を開く前は、織田信長と同盟を結び、三河国(現在の愛知県)や遠江国(現在の静岡県)に勢力をのばしていました。そんな中で勃発したのが本能寺の変です。1582(天正10)年6月2日に本能寺で信長が討たれた知らせを受けた家康は、堺(大阪)から信長がいる京都へ向かう途中でした。
自らの命も狙われていると知った家康は、安全のために三河国へ戻ることを決意。その時のことが「家康の伊賀越え」と言われています。
堺から山城エリアを1日かけて人々の手を借りながら進み、本能寺の変から2日後の6月4日に無事、三河岡崎城にたどり着きました。

KYOTO SIDEでは、家康が通ったと思われる京田辺市のルートを参考に、ガイドさんと歩いてみました。(家康が通ったとされるルートについては諸説あります。)
こちらの記事もぜひチェックしてみてくださいね▼

伊賀越えの道をめぐる ~徳川家康が走り抜けた京田辺市編~

2023年のNHK大河ドラマの主人公であり、戦乱の世に終止符を打って江戸幕府初代将軍となった徳川家康。天下人として名高い家康が、かつて命懸けで脱出を図った「伊賀越え」の道が京都府南部の山城地域にあることをご存知でしょうか […]
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