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【京都歴史探訪】生誕500年・千利休ゆかりの地を訪ねて

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2022年は安土桃山時代に活躍した茶人・千利休の生誕500年の節目にあたります。利休は室町末期の1522(大永2)年、大阪・堺にある商家の長男として生まれ、茶の湯を習い始めたのは17歳の頃といわれています。23歳で初めて茶会を開催し、その後、大阪の堺が織田信長の直轄地になると茶頭(さどう:茶会の場を取り仕切る役割)として召し抱えられました。
「本能寺の変」で信長が討たれた以降は、次の天下人となった豊臣秀吉に仕え重用されていましたが、最期は秀吉に切腹を命じられ69歳でその生涯を閉じたとされています。
今回は、名だたる戦国武将に仕え「侘び茶」を確立した千利休ゆかりの地をご紹介します。
※千利休の死因については諸説あり。

千利休が茶頭を務めた空前絶後の大茶会

北野天満宮(京都市上京区)

学問・文化芸能の神さまである菅原道真公を祀る全国天満宮の総本社「北野天満宮」。1587(天正15)年10月1日、豊臣秀吉公は篤い天神信仰のもと、神前茶会として茶の湯文化を広く発信する目的と、政庁兼邸宅として造営した「聚楽第(じゅらくだい)」の完成を祝した大茶会「北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)」を北野天満宮を中心とした北野松原の地で催しました。
諸大名や公家、京都・大坂・堺の茶人などに広く通知され、遠方から来る客人のために10日間に渡り開催されるという空前絶後の茶会が計画され、この時、茶頭のひとりとして迎えられたのが千利休でした。通常、茶会は小さな茶室を使い少人数で行われていましたが、北野大茶湯では庶民から大名まで身分を問わず、茶道具かそれに変わるものを持って来れば、だれでも参加がすることができたといわれています。

当日は1000人以上もの参会者で賑わい、秀吉公や利休自ら茶を点て、庶民にも振る舞ったとされています。しかし茶会は初日のみで終了してしまいます。理由としてあげられているのは、平定した九州で「肥後(熊本)の国人一揆」が発生したため、秀吉公の機嫌が悪くなった……など諸説あるようです。
この茶会で秀吉公が茶点ての水に使われたと伝わる「太閤井戸(たいこういど)」と北野大茶湯の偉業を顕彰する「北野大茶湯之址」の石碑が、今も境内に遺されています。

■■INFORMATION■■
北野天満宮
住所:京都市上京区馬喰町
電話:075-461-0005
参拝時間:6:30~17:00
参拝料:境内自由(宝物殿は大人1,000円)
HP:https://www.kitanotenmangu.or.jp/index.php

鳥居横に建つ千利休の石碑とは?

晴明神社(京都市上京区)

(写真提供:晴明神社)

京都市上京区晴明町に位置し、平安時代の高名な陰陽師・安倍晴明公を祀る「晴明神社」。こちらの境内を南北に通る葭屋町(よしやまち)通り沿いの二の鳥居前には、「千利休居士聚楽屋敷趾(せんのりきゅうこじじゅらくやしきあと)」と刻まれた石碑が建てられています。
この千利休聚楽屋敷跡とは、関白になった豊臣秀吉が造営した「聚楽第(じゅらくだい)」内に建てられた利休の屋敷跡のことです。江戸時代の書物『茶道要録』によると、利休の邸宅の位置が「葭屋町通り元誓願寺下ル町」と記されていることから、この地にあったとされています。

(写真提供:晴明神社)

また、利休は晴明公が念力によって湧出させ、病気平癒のご利益があることで知られる「晴明井」の水を、茶事の催しの際、茶湯として使っていたといわれています。

■■INFORMATION■■
晴明神社
住所:京都市上京区晴明町806(堀川通一条上ル)
電話:075-441-6460
参拝時間:9:00~17:00(無休、授与所は午後16:30まで)
参拝料:境内自由
HP:https://www.seimeijinja.jp/

千利休とゆかりの深い禅寺

龍寶山 大徳寺(京都市北区)

京都市北区にある大徳寺は鎌倉時代末期の1326(嘉歴元)年に臨済宗の僧である大燈国師 宗峰妙超(だいとうこくししゅうほうみょうちょう)禅師が開創した、20を超える塔頭(たっちゅう:境内にある小寺)を有する禅宗寺院です。安土桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔うために建立した「総見院」や、千利休が秀吉に茶を振る舞ったと伝わる「大仙院」、利休の邸宅を移築した「高桐院」など、利休とのゆかりの深さが窺えます。

なかでも、重要文化財の三門「金毛閣」は利休の終焉に深く関わりがあるとされています。三門は室町時代の応仁の乱で荒廃した後、1529(享禄2)年に再建するも資金が尽きて、一層のみが完成しました。その後、1589(天正17)年に利休によって二層部分が寄進され「金毛閣(きんもうかく)」と称されます。この時、改修した二階部分に感謝の意を込めて雪駄を履いた利休の等身の木像が安置されたのですが、門を通ると利休の木像に頭を踏みつけられる構図になることから、秀吉の怒りに触れ、切腹の一因となったといわれています。

【国宝】聚光院本堂障壁画 狩野永徳筆『花鳥図』(左上)/書院・千住博筆『滝』(右上)/閑隠席(左下)/方丈庭園「百積庭」(右下)

大徳寺本坊西側にある塔頭「聚光院(じゅこういん)」は、千利休とその流れを汲む茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の菩提寺として、茶道を嗜む者にとって特別な場所とされています。境内には狩野永徳の下絵を元に利休が作庭したと伝わる方丈庭園「百積の庭(ひゃくせきのにわ)」のほか、利休の精神を汲み造られた茶室「閑隠席」や「枡床席」(共に重要文化財)、また永徳とその父・松栄が手掛けた「聚光院本堂障壁画46面」(国宝)、千住博の描いた迫力ある『滝』の障壁画などがあります。
聚光院は通常非公開ですが、現在(2022年9月3日~2023年3月26日)特別公開が行われているので、このチャンスにぜひ訪ねてみてください。

■■INFORMATION■■
龍寶山 大徳寺
住所:京都府京都市北区紫野大徳寺町53
通常非公開 ※今秋、特別企画を実施。詳細は下記へ
 
聚光院【特別公開情報】
公開期間:2022年9月3日(土)~2023年3月26日(日)
休止日:特別公開情報HPをご確認ください。
拝観時間:10:00~16:00(最終受付)
拝観料:大人2,000円、中高生1 ,000円(小学生以下拝観不可)
特別公開:【国宝】狩野永徳・松栄筆本堂障壁画
     【重要文化財】本堂、茶室「閑隠席」「枡床席」
     【名勝】方丈庭園「百積の庭」
      書院(千住博筆障壁画『滝』)
特別公開情報HP:https://kyotoshunju.com/temple/daitokuji-jukoin/

★一席15名限定! 特別企画「大徳寺 寺宝特別展示茶会」★
 2020年より始まった方丈(国宝)修復に伴い「寺宝展とお茶会」が開催されます。
スタッフによる解説付きの非公開区域拝観や、「観音猿鶴図(国宝)」など20点の寺宝展示(展示入れ替え有り)、そして宮家・有栖川宮家から移築された書院「瑞雲軒」で行われるお茶会など、どれも大変貴重な機会です。
詳細と予約申し込みについては、下記の「ことなり塾」のページをチェックくださいね。
 
開催日時:2022年11月12日(土)・13日(日)・14日(月)・25日(金)・26日(土)・27日(日)
開催時間:10時、12時、14時(1日3席)
所要時間:約120分(伽藍案内40分、お茶会30分、寺宝拝観50分)
定員:一席最大15名(事前予約必須)
参加費:23,000円(税込、方丈修復へのお布施を含む)
問合せ先:京都春秋ことなり塾(株式会社京都春秋内)

千利休が好んで用いた名水「柳の水」

馬場染工業株式会社(京都市中京区)

明治3年の創業以来、着物や洋服の黒染めを専門に行ってきた老舗の黒染屋「馬場染工業株式会社」。敷地内には平安時代から湧いているといわれる名水「柳の水」があり、現在でもこの水を使い黒染めをされています。この柳の水は千利休が好んで茶の湯に用いたといわれており、水に直接陽が差さないよう井戸の側に柳の木を植えたと伝えられていることから「柳の水」と呼ばれるようになったといわれています。

今日まで一度も枯れることなく、現在も染色や飲料水用として利用されている柳の水は、平日9:00~17:00までの間、自由に水を汲ませていただくことができます。ご利用の際は維持管理のため、1リットルあたり20円の維持費にご協力くださいね。
馬場染工業株式会社さんでは家紋入りのグッズが作れる体験工房もあるので、お立ち寄りの際にはぜひ体験してみてください。予約が必要なので、気になる方はこちらのチェックをお忘れなく。

■■INFORMATION■■
馬場染工業株式会社
住所:京都市中京区西洞院通三条下ル柳水町75
電話:075-221-4759
受付時間:9:00~17:00
HP:https://www.black-silk.com/

千利休の首が晒された戻橋

戻橋(京都市上京区)

晴明神社から徒歩約3分のところにある「戻橋(通称:一条戻橋)」。豊臣秀吉の側近であった千利休ですが、晩年は秀吉の怒りを買い、切腹を命じられてしまいます。理由は諸説あるようですが、そのひとつに利休が大徳寺の金毛閣三門に自身の雪駄履きの木像を掲げたことで、秀吉の逆鱗に触れてしまった説があります。この木像は戻橋のたもとに磔にされ、利休は京都の聚楽屋敷で切腹。その後、利休の首は磔にされた木像に踏まれるように晒されたといわれています。

■■INFORMATION■■
戻橋
住所:京都市上京区堀川下之町一条通

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