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【国宝・大徳寺方丈】息を呑む美しさ〜文化財建造物の修理現場〜

京都屈指の観光名所、清水寺が足掛け13年という大修理を終えて完成お披露目となったのは2021年のこと。そう、京都に文化財がある限り、そこには保存修理を行う人たちが存在するのです。一体誰が、どうやって、あんなに大きな建物を…? 謎のベールに包まれた文化財修理の現場を取材しました。

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建物の歴史は修理の歴史でもある

文化財保護課の修理技術者 竹下弘展さんと加藤吉絵さん

京都のまちには、築数百年を誇る社寺や邸宅がたくさん。それら歴史的建造物を陰で支えているのが京都府庁の、その名も「文化財保護課」です。かつて日本では、古い社寺の保存修理が所有者にゆだねられていました。修理にかかる莫大な金額に所有者たちは身を削られ、維持できず取り壊された社寺も多かったそうです。

「これではいかん、価値ある歴史的建造物を国が守っていかなければ」と、制定されたのが明治30年の「古社寺保存法」。それ以来、文化財の修理に国の補助金が出るようになり、やがて文化財建造物が数多く所在する京都府と奈良県に地方技師が配置されたのを契機に、現在の文化財保護課が修理を担当するようになりました。

今回、取材にご協力いただいたのは、文化財保護課 建造物係で修理技術者として働く竹下さんと加藤さん。修理技術者のお仕事とは、修理が必要な建物の破損状態や過去にどんな修理が行われたかを調査し、それを元に修理方法、費用の見積もり、工期の見立てといった修理計画を立てることです。いわゆる設計監理のようですが、なんせ扱うのは国宝をはじめ、築数百年の文化財たち。当時の文化に関する知識や鋭い観察力、判断力などが求められます。現在、京都府には20名の修理技術者が所属していますが、全国でもその数は少なく、全部で200名ほどしかいないのだとか。

京都随一の文化人が粋を集めた「大徳寺 方丈」

修復工事前の大徳寺 方丈

早速、今回見学させていただく「大徳寺 方丈」の修理現場へと向かいます。ですがその前に、そもそも方丈ってどんな建物だったのでしょうか?
大徳寺は洛北にある臨済宗大徳寺派の大本山。鎌倉時代末期に創建された後、応仁の乱で一度は荒廃したものの、「一休さん」で有名な一休宗純によって復興されました。京都屈指の禅宗寺院であり、茶の湯の文化とも深い関わりを持つお寺です。方丈は1635年に建てられました。住職の居住空間であり、また、儀式や法要などを行う場としても使用された建物です。堺の豪商の家に生まれ、優れた文化人でもあった住職 江月宗玩(こうげつそうがん)の審美眼が至るところに息づいています。
さあ、それではいよいよ現場へ潜入です。

修理中ですら美しい……丸太組の素屋根は京都ならでは

無数の丸太が、頭上遥か高くまで組み上げられた迫力の大空間……!実はこれ、京都の修理現場ならではの光景なのです。建物全体をすっぽり覆うように建てられたこの囲いは「素屋根」といって、修理中の建物を雨風から守ったり、大工さんの足場や作業場にもなるもの。一般的には鉄パイプを使用するのが主流ですが、京都では丸太で素屋根を建てるのも伝統技術だそう。しかもすべて鳶職人による手仕事!

三角形に組み上げた丸太は橋梁のようにも見える

修理を行うのは「方丈」を含む5棟で、工事期間は約6年。今回のミッションは、長年屋根の重みがかかったために、傾いてしまった建物を元に戻すことです。そのため屋根を一度解体し、大きく傾いた柱を起こします。開始から1年ほどが経った現在は、解体を終えてさまざまな調査と検討を行い、ようやく修理の方向性が見えてきた段階だとか。

創建当初、方丈の屋根は瓦ではなく檜の樹皮を葺き重ねる檜皮葺(ひわだぶき)だったのですが、明治期に行った修理で現在の桟瓦葺に変更されたため、屋根の荷重が格段に大きくなってしまったそう。現在も軒付(のきづけ)と呼ばれる屋根の先端部分にのみ、檜皮葺の痕跡があえて残されてます。

次の修理までの100年をどうもたせるか

柱の傾きによって、桁の一部が大きく凹んでいるのがよくわかる

「傾いた柱をただ元に戻すだけなら簡単なんです。問題は、どうすれば戻した後も倒れにくい構造にできるのか。たとえば一番手っ取り早いのは屋根自体を軽くすること。瓦が重いなら檜皮葺に戻すとか。あるいは倒れにくくするために柱に補強材を入れるという選択肢もあります」
数ある選択肢の中からどの方法がベストなのかを決めるのが一番難しい課題だと話す竹下さん。

「極端に言えば、二度と倒れないように鉄の柱でガチガチに固めようという考えもあれば、時が経てば倒れてくるのがこの建物の元々の性質なんだから、そのままでいいという考えもある。人によって考えが違うし、どちらも甲乙つけ難いので、意見をぶつけ合いながら決めていきます。だけどやはり、文化財というのは当時の文化を伝えてくれるものだと思うんです。見えない部分であっても、未来へ伝えられる情報をいっぱい含んでいる。だからバランスを見ながら残せるものはなるべく残しつつ、次の100年もたせるための修理をやっていければと思っています」

一本の角材から見えてくる、方丈の建築哲学

大徳寺の方丈は、禅寺らしく派手な装飾を一切排した静かな佇まい。はっきり言って地味に見えますが、解体してみると木材の質の良さが際立っていることがわかるそうです。
「この建物の一番の見どころは、実はこの木なんですよ」と竹下さん。それは、長さ約6m・重さ約800㎏という立派なヒノキ材でした。「桁(けた)」と呼ばれ、柱の上で屋根を支える重要な部材です。

「一本の木から材料を取るとき、直径の大きな真ん中部分を取るのが一番効率が良い。でも芯の部分を含むと割れやすい特徴があるんです。つまり、芯を避けた上でこれだけ大きな材料が取れるということは、めちゃくちゃ大きな木だったと考えられます」
さらに注目すべきは、年輪の幅の細かさ……!ぎゅっと詰まった目から、冬が厳しい地域でゆっくりゆっくり、力を蓄えながら育ってきたことが伺えますね。加藤さんの計算によると、恐らく樹齢400年ぐらいのヒノキではないかということ。専門家や大工でもこれほどの材料に出合えることはめったになく、どこの材木屋さんに見せても「こんなええ木はなかなかあらへんで」と驚かれるのだとか。

さらに竹下さんはあることに気づいて驚いたそう。
「木には表と裏があって、樹皮側を木表、木の中心側を木裏といいます。ふつう、建物では正面から見える側に見た目の美しい木表を使うことが多いんですが、ここは逆で、建物の内側に木表を使ってる。それは、この方丈という建物が、外から見える姿よりも、桁の下にある広縁側から見た姿を一番重要視していることを意味しています」

この事実は、方丈の修理にひとつの方向性を指し示してくれました。
「構造補強に関して、この広縁側からは補強材など後から付けられたものがなるべく見えないようにしようと。ここから見える姿を、できる限りもとのままに残す。創建時のマインドを、今回の修理の中でも活かしたいと考えました」

意外なことに、文化財建造物において創建時の設計図が残っているケースはほぼないのだそう。だからこそ、現場で気づいた小さな疑問や発見は過去と未来をつなぐ大切な架け橋なのですね。
「建物って、良くも悪くも痕跡をたくさん残してくれてるんです。釘穴ひとつとっても、そこには何らかの意味がある。何の穴だろうとその意味を読み解くことは、我々の仕事の醍醐味でもありますね。本当に、毎日何かがわかるんですよ」

全国でも珍しい「公務員大工」の存在

解体した材料をどこに戻せばいいのかを示す「番付札」

今回の取材で驚いたことのひとつが、文化財保護課には公務員の宮大工の技術を持つ職員が存在するという事実です。正確には、堂宮大工が11名と建具師が2名。みなさん大工の実技試験を含む公務員試験に合格し、高い技術と伝統工法の知識を持った優秀な職人たちです。全国津々浦々、府県が独自に大工を抱えるというのは非常に珍しいこと。というのも、文化財そのものが少ない府県だと、仕事のない時期が発生してしまうためです。京都のように、向こう10年の修理計画が決まっているほど文化財が豊富でなければ、成り立たないシステムというわけですね。

棟梁の望月さんは、文化財保護課の大工になって現在13年目。社寺建築がやりたいという思いで、故郷の静岡を離れて京都へやってきたのだそう。
「民間の工務店に入って、社寺建築に携わってきました。主に新築の現場で修業していたんですが、新築で建てた社寺は、多くが100年~200年で取り壊されてしまうんです。修理にお金がかかることもあって。それよりも、ずっと残るものを造りたい、歴史あるものに携わりたいと思うようになって、文化財保護課へきました」

カンナがけを見せてくれた望月さん。この日は作業がなく、急遽お願いしたにもかかわらず、さすがの職人技でした。布よりも紙よりも遥かに薄いカンナ屑が、光を透かしながら木の繊維を浮かび上がらせる様子は本当にキレイ。ちなみに、木は湿度がある日の方が柔らかくて削りやすいのだそう。
「雨の日はみんな、カンナが上手くなったように勘違いします(笑)」

カンナは刃の研ぎ方や台の造り方、それぞれのバランスなど調整に多くの工夫が必要で、「注文の多い道具」と呼ばれているとか。望月さんはカンナの台やノミの柄の部分を、より手に馴染むよう自分で造っているそう。すごい!

扉や欄間などの修理を専門に行うのが建具師。0.1ミリの狂いも許されない緻密な技術が求められます。修理を終えてピシッと線の揃った扉が美しく並んだ空間は、きっと圧巻の景色でしょうね。

古い板の傷んだ部分だけをくりぬき、新しい材で埋めていきます。板ごと取り換える方がよほど早そうですが、残せるものは可能な限り残すのが文化財修理のルール。

大工さんの忘れ物?400年前のノミを発掘!

解体作業の最中には思わぬものが発見されることもあるようで、今回の現場から出てきたのは、なんと400年前のノミ! 屋根を支える垂木と板の間に挟まっていたもので、刃の部分が赤く錆びついているものの、しっかりと原型をとどめています。

400年前、つまり創建当時のものだと判断された理由は3つ。
①発見された場所の部材は過去に解体された形跡がなかった
②中世頃に使用されていた両刃仕様になっている
③発見場所のすぐ近くに、このノミで削ったと思われる刃の痕跡がある。
ただし、これだけのことがわかっても、大工さんが置き忘れたのか、それとも落としたのか?それは謎のままだそうです。ちなみに京都の修理工事でノミが発見された事例は4件だけなのですが、竹下さんはそのうち2件に関わっているそう。なんとも引きがお強い!

この画像はある部材の墨書を赤外線カメラで写したものですが、なんだと思いますか?実はこちら、天井板に書かれた大工さんの落書き。書かれている内容を解読すると、

天井打手元
庄兵衛 久三郎
仁兵衛 安五郎
作兵衛 甚七
たみ
江州三井寺住人

もともと滋賀の三井寺に住んでいた大工さんが、現場に住み込みで仕事をされていたんでしょうか。面白いことに、その横に書かれているのは有名な和歌。

たこ乃浦打出見れは
白たへのふしのたかねに
ゆきはふりつつ

天井裏など外からは見えない部分に、大工さんが自分の名前を書き残すことは決して珍しくなかったそうです。好きな和歌を書き残すのも流行っていたのだとか。なんというか、急に建物に体温が宿ったような気持ちになりますね。文化財という雲の上のものが、身近なものになったような。

「建物に含まれるすべての情報を未来に残したい」

「文化財を後世に残していくことの意味ってなんですか?」最後にこんな質問をしたら、竹下さんはこう答えてくれました。
「若い頃、海外旅行が好きで年に4回ぐらい行っていたんです。バックパックでインドのタージ・マハールや、インドネシアのボロブドゥール遺跡を旅したり。それで思ったのが、やはりその土地の文化を知る上で、建物というのはとてもわかりやすいということ。こんなものを造った人たちの国なんだって感じられるひとつの指標が建物だと思います。日本も同じことで、古い建物を修理して残すことは、日本ってこんな国なんだよということを後世に伝えるためのツールでもある。そこには僕から見たその建物の魅力だったり、僕にはわからなかった別の魅力も、ものを残せばそこに情報はいっぱい詰まってるんですよ。そういうものを含めて建物を残していくことに意義があるのかなと思って仕事をしています。まあそれは表向きで、一番はやってて楽しいということですけどね(笑)」

次世代へ繋ぐための文化財修復の現場では、専門の職人たちが日々、さまざまな想いを込めて丁寧に作業を行っています。このような修理が時代ごとに行われていること、修理現場でどのようなことが行われているのかを知ると、文化財建造物を見る目も少し違ってくると思います。文化の秋、そして芸術の秋――自分たちの国の歴史や文化に、思いを馳せてみませんか?

★国宝・大徳寺 方丈の修理現場を見に行こう!

今回、取材した大徳寺方丈(国宝)の修理現場は、11月の以下の日程で、無料で公開されます。普段の寺院拝観とは全く異なる、未来へ受け継いでいくための文化財修理現場の様子を、ぜひ現場で体感してください!

日時:令和4年11月5日(土)・6日(日)10:00~16:00(両日とも16:30公開終了予定)
会場:大徳寺 方丈(国宝)[京都市北区]

詳しくは、以下のURLをクリックください▼
http://www.kyoto-be.ne.jp/bunkazai/cms/?page_id=260

■■取材協力■■
京都府 文化財保護課建造物係
TEL:075-414-5900

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