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世界遺産の文化財保存修復に欠かせない!京都福知山の丹後和紙(丹後二俣紙)

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手漉き(てすき)和紙の生産地の一つとして知られている京都府福知山市大江町二俣。この地で作られる手漉き和紙は「丹後和紙」として親しまれ、「丹後二俣紙(たんごふたまたがみ)」という名で京都府の無形文化財に指定されています。

時代ごとのニーズに応えてきた丹後和紙、果たして現在はどのような分野で活躍しているのでしょうか? 丹後和紙の伝統を今に伝える工房、田中製紙工業所を訪ねてきました。まずは丹後和紙の歴史をふり返り、田中さんの現在の取り組みをご紹介します。
また記事の最後には、丹後和紙の魅力を伝える「大江町和紙伝承館」の施設情報も!

丹後和紙の歴史、どうして和紙の生産が昔から盛んだったの?

色彩豊かな染紙。ちぎり絵や工芸に使われる。一枚一枚表情の違いがあるのも手仕事ならではの楽しみ

丹後和紙の歴史を語るために、まず紙の起源から振り返りましょう。
紙の起源は紀元前150年頃。中国で発明され、当初は原材料に麻を用いた紙が主流でした。日本へ紙が伝来したのは7世紀はじめの飛鳥時代のこと。奈良の正倉院文書によると「丹後王国は紙と原料の上納国」という記述があることから、丹後地方では少なくとも1300年以上前から紙作りが行われていたことがわかります。
古代、日本の表玄関として栄えてきた丹後地方は、中国や朝鮮から最新の文化が入ってくる場所であることから日本の中でもいち早く紙作りが定着したことがうかがえます。

大江町二俣を流れる由良川の支流、宮川の豊かな水は丹後和紙の製造に欠かせないもの

今回取り上げる福知山大江町の手漉き和紙のルーツは江戸時代にさかのぼります。大江山の麓の「北原」という集落で始まったとされ、山間部で暮らす人々が生活を支えるために育んだ知恵でした。そこに残る慶長年間(1596~1615年)の史料には、宮津藩に年貢として半紙を納めていたという記録があることから、既にその頃から紙作りが盛んだったことがわかります。

江戸時代から明治にかけて京都を代表する紙漉き和紙の一大産地として栄えた大江町。最盛期には、町内各地に200余りの製紙所がありましたが、現在は田中製紙工業所1軒を残すのみとなりました。

原料栽培から一貫生産でオンリーワンの和紙を目指す

江戸時代から続く和紙工房、田中製紙工業所の5代目の田中敏弘さんと長女の良子さん。家族で工房を営む

昔ながらの手漉き和紙の伝統技法を絶やさぬよう、田中製紙工業所では約40年前から原料の栽培も自ら手掛けるようになり、販売まですべての工程を自社で一貫して手掛け、自分たちに正直な和紙作りをモットーに、丹後和紙の伝統を守り受け継いでいます。
工房には物販コーナーもあり、書や工芸などに使われる多彩な丹後和紙や雑貨類を販売中。

看板娘のきなこちゃんがお出迎え

「手漉き和紙の場合、全国各地、製法に大きな差はなくとも、原材料の楮(こうぞ)の質、水、気候などの差から、産地ごとに異なる風合いの紙が仕上がります。大江山から吹きおろす寒風と清らかな由良川の支流、宮川の冷たくて澄んだ水、この地で手塩にかけて育てた楮……。この地ならではの気候風土が生み出す丹後和紙は決して誰にも真似できない、唯一無二の存在です」と、田中さんが静かに語ります。

平成17年には、その努力が認められ、「丹後二俣紙」という名で京都府指定の無形文化財に指定されました。

宮川をせきとめて緩やかな流れのなか、皮を洗う「川さらし」の作業風景

ちなみに、丹後和紙の呼び名は「河守紙(こうもりがみ)」、「二俣紙(ふたまたがみ)」と時代ごとに変化がありました。
現在の総称「丹後和紙」は先代の頃、百貨店での催事販売をきっかけに、名付けられたブランド名です。福知山市大江町はもともと丹後国を治める宮津藩の領地だったことから「丹後」を冠したとのこと。

手間暇を惜しまず、確実な手仕事が無ければ完成しない田中さんの丹後和紙

主原料となるのが「楮(こうぞ)」という植物。成長スピードが早く、春先に芽を出すと秋には枝が長さ4~5メートル近くに伸び、冬に刈り取っても、また翌春に新芽が出る

たおやかさに加えて優れた耐久性と保存性を兼ね備えた丹後和紙は、伝統的な和紙作りの技法にとことんこだわるからこそ生まれるもの。よい和紙を作るには品質の良い原料を作ることがとても大切です。原料となる楮は、1年間、専用の畑(上写真)で、草刈りや肥料やり、消毒をして丁寧に育てます。

冬を迎えて葉っぱが落ちると楮を刈り取り、12月から2月の厳寒期に紙料作りが始まります。枝を蒸して皮をむき(上写真)、天日干しをして乾燥(下写真)させます。天日干しの風景は大江町の冬の風物詩とのこと。

さらにこの皮を水に晒してアク抜きし、皮を炊いたり叩いたりさまざまな行程を経て、細かい繊維にします。紙を漉くまでの準備だけでも、15工程以上、とてつもない労力です。

薄くて丈夫な和紙を作るための名脇役が「ネリ」と呼ばれるトロロアオイの粘液。楮などの繊維原料と一緒に水に混ぜることで、繊維の広がりを均一にしてくれる重要な役割を担う

紙料ができあがったら、いよいよ紙漉き。「漉き舟(スキブネ)」と呼ばれる水槽の中に楮とネリ(粘剤)、水を入れてよくかき混ぜて(上写真)、木枠「簀桁(スゲタ)」を両手で前後左右に揺り動かし(下写真)、1枚1枚漉きあげていきます。

「38年紙漉きをやっていますが、次々に更なる想いが出てきて……。理想の和紙作りを実現するために、体の動かし方や水の動かし方など日々、試行錯誤しています」(田中さん)

希望の厚みまで仕上がったら木枠を外して(写真)、紙床に積み重ね、一晩かけて水分を絞り、最後は干し板に1枚ずつ貼り付けて天日で乾燥します。

手間暇を惜しむことなく、一つひとつ確実な手仕事から生み出される丹後和紙。とくに大変なところとはどんなところでしょうか。

「どの作業もすべて気が抜けない大変なものばかりですね。毎年気候が違えば、楮の繊維の質は変わってくるので、同じ品質に仕上げるためには、細やかな調整がすべての工程において必要になってきます。ある程度、経験から得られる勘も必要ですが、『自分たちに正直な紙を作ろう』と、家族みんなが同じ思いをもってくれているので、そういったところは以心伝心で伝わります。それが家族で営む工房ならではのいいところですかね」(田中さん)

丹後和紙は、世界遺産など文化財修復の世界では欠かせない存在に

文化財修復に使用されている未晒の楮紙

田中製紙工業所では、初代から5代目の田中敏弘さんに至るまで、時代のニーズにあわせてさまざまな用途に合わせた和紙作りを行ってきました。現在、もっとも力を入れているのが文化財修復に使用する和紙作りです。

「文化財修復のご注文は、私が作る和紙の中でも最も神経を使いますし、実際に修復をされる方も細心の注意を払われながら仕事をされています。安心してお使いいただくためにはすべての作業工程や、作り手自身を見てもらう必要があると思っています」(田中さん)

楮は重要な公文書や教典などに用いられてきた歴史をもった和紙原料の代表格。楮の繊維は太くて長く強いため、幅広い和紙の原料として使用されてきた

文化財修復に使用するのは、未晒の楮紙(ちょし)という種類。80~100年に一度、表紙などの絵をめくって下地を張り替える必要があります。世界遺産などの障壁画を修復する際に、強靭でありながらも軽くてしなやかな紙質をもっている丹後和紙は絵を守る下地素材として重宝されています。また、田中さんの和紙は日本のみならず海外の文化財の修復現場でも活躍しているそうです!

漆の不純物を取り除くための漉し紙として作られた漆漉し紙。現在、日本でこの和紙を手漉きできる職人は田中さんとあともう一名だけ

最後に、田中さんと娘さんに今の思い、そして今後の目標を聞いてみました。

「和紙と一言で言っても工程も材料も異なるため、品質やグレード、値段はさまざま。そして用途によって向き不向きもあります。そういったことをきちんとお伝えし、お客様一人一人のニーズに合った和紙をご提案したいですね。そのうえで、丹後和紙の魅力を伝えていきたいと思います。また、福知山市には原材料から製品まで一貫して生産を行っている、漆や藍染めといった工芸品もあります。そういったところとコラボした商品開発も今後はより積極的に行いと思っています」(田中さん)

左上から時計回りに、丹後和紙のアクセサリー、しおり、ぽち袋、御朱印帳

両親をサポートするため3年前から家業を手伝うようになった長女の良子さん。現在はイベント企画、丹後和紙を使った雑貨やアクセサリーの商品開発なども手掛け、丹後和紙の新たな魅力を発信しています。

「お客様から『田中さんところの和紙じゃないとあかん』と直接聞くようになり、より良い和紙を届けたい、伝統を絶やしたくない、という思いが強くなりました。少しずつ、紙料作りや紙漉きの勉強もしながら、将来的には一人でも紙漉きの仕事ができるようになれたらいいなと思っています。挑戦したいことに対していつも両親が援護してくれる環境で働けているので、とてもありがたいです」(良子さん)

今回の取材を通して、一枚一枚に作り手の深い想いが詰まっていることを知り、あらためて丹後和紙を触ってみると、より一層、あたたかみを感じます。まさに今、次の世代に受け継がれる想いに触れて、背筋が伸びる思いがしました。皆さんも、ぜひ一度、工房を訪ねてみてくださいね。

丹後和紙の魅力を知る!和紙伝承館の見どころをご紹介

京都丹後鉄道宮福線「二俣」駅から徒歩5分の場所にある福知山市大江町和紙伝承館は、かつて地場産業として栄えた丹後和紙の歴史、文化、伝統を後世に伝える目的で平成7年に開館。現在も企画展を通じて、新たなる丹後和紙の魅力を発信しています。

13体の鬼像のひとつ、紙す鬼(かみすき)が目印です。

入口はいってすぐのロビーでは、丹後和紙を使った絵画や行灯、人形など全国の愛好家から寄贈された多数の作品が出迎えてくれます。

企画展が開催される展示室 ※写真は昨年度の企画展の様子

メインとなる展示室では、主に丹後和紙を使った作品の企画展を年に数回開催するほか、大江町でかつて和紙づくりの現場で実際に使用されていた用具を紹介し、パネルでわかりやすく解説されています。

また、丹後和紙の製造工程を丁寧に紹介する約15分の映像は見応えあり!必見です。
体験工房室では田中製紙工業所の職人による丹後和紙紙漉き体験も。(10人以上で予約が必要、別途要体験料)

ぜひ、足を運んでみてください♬

■■INFORMATION
田中製紙工業所
住所:京都府福知山市大江町二俣1318(福知山市大江町和紙伝承館に隣接)
電話:0773-56-0743
営業時間:9:00~17:00
定休日:不定休
交通:京都丹後鉄道宮福線「二俣」駅から徒歩5分
https://www.tangowashi.com/

福知山市大江町和紙伝承館
住所:福知山市大江町二俣1883番地(田中製紙工業所に隣接)
電話:0773-56-2106
※紙漉き体験のお問い合わせ・予約は福知山市大江支所0773-56-1102まで(平日8:30~17:15)
開館日:土曜、日曜、祝日(ただし、年末年始は休館)
開館時間:10:00~16:00(入館は15:40まで)
入館料:一般200円、高校生150円、小中学生110円
交通:京都丹後鉄道宮福線「二俣」駅から徒歩5分
https://www.city.fukuchiyama.lg.jp/soshiki/65/2021.html

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