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節分の由来と“鬼”の正体〜大江町の日本の鬼の交流博物館で聞く〜

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もうすぐ節分です。福豆を投げたり、恵方巻きを食べたりしますが、この行事に欠かせないのが“鬼”の存在。
今回は、そんな “鬼”にまつわるお話です。
京都府の大江山に残る鬼伝説、そしてその地に“鬼に特化した博物館”があることをご存知でしたか?
今日は、この博物館で鬼と節分のお話を聞いてきました。

 

鬼伝説が残る場所—大江町の日本の鬼の交流博物館へ

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大江山は、先日の雲海記事でもご紹介しましたが、丹波・丹後の国境に広がる鍋塚、鳩ヶ峰、千丈ヶ嶽、赤石ヶ岳からなる連山です。
KYOTO SIDEライターは本日、鬼伝説が残る大江山、その南の麓(ふもと)・大江町にある「日本の鬼の交流博物館」へと向かいました。
到着してすぐに、超ビッグサイズの鬼瓦と遭遇!
これは、高さ5メートル、重さ10トンの日本一の大きさを誇る「大江山平成の鬼瓦」。日本鬼師の会に所属する全国の鬼瓦職人が、顔を130のパーツに分けて、全国各産地の土と焼成技法で作り、それらを現場でつなぎ合わせたという魂の込もった芸術作品。見れば見るほど、圧倒されます。

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この辺り一帯は“酒呑童子の里”と呼ばれ、博物館のほか、グリーンロッジやキャンプ場、テニスコートといったアウトドア&レクレーション施設が充実しています。森林浴や渓流釣り、大江山ハイキングの拠点としても多くの人が訪れている場所なのだそうです。
でも、行ってみて分かったのは、ここは大江山の結構山の中なんですよね…。
にも関わらず、施設の数が多かったり、グラウンドまであるなんて…と、ちょっと不思議に思いました。

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ここが、国内のみならず世界中の鬼の文化・芸能を展示する「日本の鬼の交流博物館」です。
さすが鬼の博物館…2本の鬼の角がニョキニョキと生えたような個性的な外観にビックリしました。
鬼への追求を深めるための貴重な資料を閲覧できるライブラリーを設置した「鬼文化研究所」も併設し、地域の鬼文化研究の中枢を担っているそう。
鬼を知り(学習)、鬼と遊ぶ(交流)空間として、全国でも珍しい鬼に特化した博物館として平成5年(1993年)に開館しました。

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お話を伺ったのは、日本の鬼の交流博物館・2代目館長の塩見行雄さん。
元・福知山市職員で、市史の編さんを行いながらまちの歴史について理解を深め、館長に就任して今年で9年目だそうです。

—早速ですが、なぜ、山の中腹にこのような博物館ができたのでしょうか?少々不便な場所かなぁとも思うのですが…。

塩見:出来たキッカケは、旧大江町の町おこしですね。元々、大江山は金属鉱脈が豊富で、この場所には大正から昭和にかけて「河守(こうもり)鉱山」という銅が採れる鉱山がありました。700〜1000人の人が住み、映画館もグラウンドも診療所あって、活気のあるひとつの町のようでした。その鉱山が昭和44年3月に休山、昭和48年に閉山となると、町は急激に過疎化していったんです。

—もしや、今この辺にある施設やグラウンドって…

塩見:そうです。鉱山の跡地を利用して建てられました。銅山の閉山や農業の後継者不足、河川の氾濫などでどんどん人口が少なくなり、新しいまちづくりで過疎を食い止めねばならなくなった。そこで何をテーマに町おこしをしようかと考えたときに、大江山の鬼伝説だ!となったのです。その一貫で建てられたのが、この「日本の鬼の交流博物館」です。

 

大江山に伝わる3つの鬼伝説

この大江山には3つの鬼伝説があるそうで、「大江山の鬼伝説」について、それぞれ詳しくお話を聞きました。

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■1:日子坐王伝説

『古事記』や『丹後風土記残缺』(8世紀)に収められた、大江山に伝わるもっとも古い伝説。青葉山(舞鶴市〜福井県高浜町)に、陸耳御笠(くがみみのみかさ)という土蜘蛛がおり、人々を苦しめていた。崇神天皇の弟であった日子坐王(ひこいますのきみ)は、土蜘蛛討伐の勅命を受けて、由良川筋で激しく闘う。日子坐王率いる軍勢にひるんだ土蜘蛛は、与謝の大山(大江山)に逃げ込んだ…

■2:麻呂子親王伝説

聖徳太子の弟にあたる麻呂子親王(まろこしんのう)の鬼退治の伝説。大江山の古名・三上ヶ嶽に巣食う悪鬼(英胡・軽足・土熊)を討伐せよとの勅命を受けた麻呂子親王。兵を率いて向かう道中、死んだ馬が生き返ったり、頭に明鏡をつけた白犬を献上されるなど、神仏の加護を受けてすすむ。鬼の洞窟にたどり着き、鬼たちを退治するが、土熊を見失ってしまう。犬の明鏡に照らして居場所を突き止め、岸壁に封じ込めた。

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いちばん有名な酒呑童子伝説。日本昔話として知っている人も多いのではないでしょうか?

■3:酒天童子伝説

時は平安時代、安倍晴明の占いで「西山に妖鬼住み、王法を倒そうとしている」と出る。その妖鬼こそ、邪法を学んで賊の頭領となり、大江山に立てこもった酒呑童子。源頼光、坂田公時、渡辺綱ら討伐隊6名は、山伏の姿に身をやつし、住吉・八幡・熊野の神々の案内を受けながら大江山を目指し、酒呑童子の屋敷へと到着する。頼光らの姿を見て修験者だと思った酒呑童子は屋敷で酒宴を催し、歓待する。神からもらった酒で鬼たちを酔い潰し眠らせた討伐隊は鬼たちを討ち、頼光は名刀「鬼切丸」で酒呑童子の首を切り落とす。

この酒呑童子は、14世紀の南北朝時代に描かれた『香取本大江山絵詞』(国宝)が最古と伝わります。
室町時代になると、謡曲「大江山」という、能の演目にも取り上げられていきます。
人々が広く知るようになったのは、江戸時代に『御伽草紙』が刊行されてからで、その後、浄瑠璃や歌舞伎の題材として、大衆に広まっていきました。

 “鬼”の正体と、節分&鬼の関係性

ここで、本日いちばん聞いてみたかった質問を館長に聞いてみました。

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—鬼とは、そもそも何なのでしょうか?

塩見:簡単に言うと、「政敵」です。時の朝廷に逆らう者のことを指しています。日子坐王伝説に出てくる土蜘蛛も、「化外(けがい)の民」として朝廷に逆らった者たちのことだと伝わります。国家に従わない悪いものたちとして忌み嫌われてたんですね。また、『日本書紀』では、佐渡ヶ島に北方系の外国人が流れ着き、“粛慎(みしはせ)のひと”と呼んで魑魅(おに)が来たと逃げ惑った、という記録もあります。国内外で異なる民族の風習や容貌に脅威を念を抱いて「おに」と感じていたようです。また、雷や地震などの天変地異も鬼の仕業と思われていたようです。

—鬼が今のような角があってコワイ顔をした怪物のカタチになったのはなぜなんでしょう?

塩見:平安時代に、死んだ人の霊が祟るとした御霊信仰や当時流行った陰陽道、仏教の地獄思想が広がり、怖い鬼が定着しだしました。「鬼は艮(うしとら)の方角からやってくる」と言われ、これは鬼門のことです。牛のように角を生やした姿や、虎柄のパンツというスタンダードな鬼の姿はこの時代からだと言われています。

また、鬼が持っているのは鉄棒、鬼と「鉄」にも深い関係があります。鉱山のあるところには鬼伝説が多いのですが、これは製鉄で目を痛めたり、肌が赤くなったり荒れたりしたことで、鬼のように見えたのかもしれませんね。鉱山というお金になる鉱脈を秘密にするため、一般の人との関係を絶たれたことも一因となったと考えられます。

—なるほど…よくわかりました!

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—もうすぐ節分ですが、節分と鬼との関係を教えていただけますか?

塩見:節分とは“季節の変わり目”で、年に4回ありますが、特に冬から春へと変わる2月3日の節分が大切にされています。昔は、この変わり目には人や自然の活力が下がり、目に見えない病魔が疫病を流行らせると言われていました。その病魔を鬼に見立てて追い払おうとしたのが豆まきの起源です。一説には、この豆は散供(さんぐ)といって奉納の意味を持っており、鬼には奉納するので出ていってもらうこと、福には奉納するので寄ってもらう意味があると言われています。豆まきの一番古い記録は、室町時代のものが残っています。

それから、よく節分とセットで「追儺(ついな)」という言葉を聞くこともあるかと思いますが、儺とは疫病や災害のことを指し、それを追い払う行事のことで、「鬼やらい」とも言われています。元々は中国で行われていた風習が平安時代に日本へ渡来したもので、方相氏(ほうそうし)と呼ばれる悪魔祓いを行なう人を先頭に、宮中で行事が行われていました。四つ目で一本角という怖い姿の方相氏の姿が後に、鬼に間違えられるようになっていきます。

珍しい資料が盛りだくさん!日本の鬼の交流博物館の内部を公開!

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塩見館長にお話を伺った後、いよいよ鬼の博物館へと足を踏み入れました!
ここでは、「日本の鬼」「世界の鬼」「大江山の鬼」、そして「鬼瓦」の4つの展示ブロックがあります。
ちなみに館内はオール写真OKだそうですよ!

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「日本の鬼」の展示ブロックでは、なまはげの鬼や天狗など、日本全国から集められたさまざまな鬼の面や人形、写真が、風習の解説とともに展示されています。

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神である鬼、仏教と鬼、暮らしの中の鬼、まつりと鬼…ひとくちに「鬼」と言えど、その種類や表情はどれも違っており、見ていてとてもおもしろかったです!

女の怨念・情念の極地を表現した「般若」(右上、左下)、能で年老いた鬼を意味する「尉鬼」(左・中)、秋田の風習・なまはげの鬼(右・中)…珍しいところでは、鬼のわら人形(右下)も。この鬼のわら人形は、岩手県安代町で250年継承され毎年作られているものだそう。天明の大飢饉で多くの村人を失ったことから、もう二度とこんなことが起こらないように強い鬼に村を守ってもらおう!という考えから作られているものだそうですよ。

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興味深いのがこちら。「世界の鬼」の展示ブースです。
こちらでは、外国で言う鬼=「魔物」や「悪魔」を中心に、鬼面や仮面、民族芸能について展示されています。

ひときわ目を引いたのが、インドネシア・バリ島に伝わる聖獣バロン(左)。光を司る聖獣だそうで、闇を支配する魔女ランダとの闘いを繰り広げる祝祭劇で使用される仮面なのだそうです。バリ島には他にもバジ鬼(右上)と呼ばれる子鬼がおり、日本で言うところのお地蔵さん的な存在だそう。
ヨーロッパではやはり悪魔(真ん中)です。日本の鬼も、ヨーロッパでは悪魔と呼ばれているそうですよ。
うーん、やっぱり世界は広い!世界の鬼は姿形からして日本の鬼と全然違いますね。(バジ鬼は似てますが)

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地元「大江山の鬼」もしっかり展示されています。酒呑童子伝説の鬼面や貴重な資料の数々は必見!
そして、大江山の鬼伝説のひとつ・麻呂子親王伝説を描いた『紙本著色清園寺縁起』(京都府指定文化財)のレプリカも展示されており、麻呂子親王の鬼退治のストーリーがわかります。

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ズラリと並ぶ圧巻の鬼瓦は、鬼瓦好きにはたまらない展示です。
魔除けの意味で使われる鬼瓦ですが、日本の代表的な鬼瓦が実物とレプリカを織り交ぜて50点ほど展示されており、古い時代からの移り変わりを見ることが出来ます。

大陸からもたらされた瓦技術の技法で作られた奈良時代の鬼瓦(左上)は平坦で穏やかな顔のものですよね。時代を経るごとにどんどん立体的に、リアルに、怖い顔になってきました。その形や表情の変遷を見てみるのも、とても面白いですよ。

また訪れたい!鬼伝説のまち

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酒呑童子の話はなんとなく知っていたものの、大江山に3つもの鬼伝説があったこと、本日初めて知った鬼の正体、節分との関係…など、今日はたくさん興味深い話を聞くことが出来ました。
また、鉄と鬼との関係、この辺りが昔鉱山だったことなど、知れば知るほど面白い話がいっぱいで、こういう知識を持って、またこの周辺をハイキングしたら楽しいだろうなと思いました。3つの鬼伝説にちなんだ遺構や地名もたくさん残っていることから、伝説の探索で訪れる人も多いそうです。

 日本と世界の鬼について学べる博物館は、大人から子どもまでが楽しめる場所でした!
「日本の鬼の交流博物館」、そしてこの鬼伝説の残る地に、ぜひ皆さんも足を運んでみてください♪

 

■■INFORMATION■■

日本の鬼の交流博物館
住所
:京都府福知山市大江町仏
性寺909
TEL:0773-56-1996
開館時間:9:00~17:00(入館は〜16:30)
休館日:毎週月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月28日~1月4日)
入館料:330円(高校生220円、小中学生160円)※15人以上の団体の場合割引あり
アクセス:(電車)京都丹後鉄道「大江」駅下車→市営バス「大江山の家」下車/駅からタクシーで15分
(自動車)舞鶴若狭自動車道 福知山IC、または京都縦貫自動車道 舞鶴大江IC下車。国道175号線で福知山市大江町へ。さらに国道175号線より府道9号線へ入り宮津方面へ。
https://www.city.fukuchiyama.lg.jp/onihaku/

 

周辺観光情報

博物館に隣接する「大江山グリーンロッジ」(0773−56−0095)では食事や宿泊が可能です。博物館近くにある「鬼瓦工房」では、鬼瓦制作体験も可能(2日前までに予約)。※それぞれお問い合わせください。
少し足をのばすと周辺には、「鬼のモニュメント」「鬼の足跡」「頼光の腰掛岩」があり、大吊橋「新童子橋」からの二瀬川渓谷の眺望は絶景。
車で10分(歩くと50分)の山の八合目にある鬼嶽稲荷神社は、11〜12月にかけて雲海が見られることで知られています。

 

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