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【京都府】大正ロマンあふれる文豪・歌人ゆかりの宿

旅の要ともいえる“宿”。豪華なホテルも素敵ですが、大正ロマンあふれる旅館に泊まってみるのもおすすめです。さらに、今回は文豪・歌人にゆかりのある京都府内の旅館を厳選してご紹介。推理小説の巨匠・松本清張や、歌人・与謝野晶子、詩人・野口雨情などが過ごした旅館で文豪気分に浸ってみませんか?

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松本清張も愛した京都最古の温泉へ

【京丹後市】丹後の湯宿 ゑびすや

創業約90年の老舗「丹後の湯宿 ゑびすや」では、奈良時代から続く、京都最古の温泉といわれる木津温泉(きつおんせん)の湯を使っています。この温泉は「しらさぎ温泉」とも呼ばれ、今から1250年ほど前の奈良時代に、僧侶 行基がこの温泉でシラサギが傷を癒しているのを見たという伝承が残っています。

橘の湯

現在ではゑびすやをはじめ、4軒の宿泊施設でこの温泉に入ることができます。中でもゑびすやでは自家源泉を持っており、源泉かけ流しの温泉を楽しめると人気。館内にはいくつもお風呂が用意されているので、何度も訪れたくなりますね。

また、木津温泉の伝承に由来する「行基の湯」では内湯・露天風呂ともに美しい竹林を眺めながらリラックス。四季折々の景色を眺めていると身も心も癒されます~。

そんなゑびすやには築100年を超える本館「大正館」と新館「万葉」の2棟があり、とりわけ大正館はレトロでノスタルジックな雰囲気が漂います。ロビーは白とこげ茶色で統一された落ち着いた設えに、さりげないステンドグラスがよく映えます。ちなみに、大正館にはいたるところにステンドグラスが使われているので、ぜひ探してみてください。

大正館と新館をつなぐ渡り廊下「桜回廊」もレトロ感たっぷり!温泉に浸かって浴衣を着て、のんびり歩いていると大正時代にタイムスリップした気分になりそうですね♪

松本清張『Dの複合』(新潮文庫刊)

そして、このゑびすやが登場する小説が松本清張作『Dの複合』です。
清張はこの作品を執筆するにあたり、1965年6月から約1か月間、こちらに逗留していたのだそう。この作品は、作家・伊瀬忠隆(いせただたか)が雑誌社の依頼を受けて日本各地の伝説が残る地を巡り、紀行文を執筆するうちにある殺人事件に遭遇。次第に自らも巻き込まれるという、古代史・民族説話と現代の事件を絡めたミステリー作品です。
この中でゑびすやは「浦島館」という名前で登場し、作中では『予想したよりも部屋はそれほどひどくなかった。年代を経て黒光りのする床柱と煤けた軸の懸かった二間床がある。‥‥…』と表現されています。ちなみに「浦島館」という名前は、大正館の玄関が龍宮城に似ているところから名づけられたのだとか。

大正館 客室

清張がゑびすやで滞在していることを知っていたのは先代のご主人と女将さん、女中頭の3人だけでした。ちなみに現当主の蛭子さんは当時小学生で、清張と一緒に過ごすこともあり“眼鏡のおじさん”という認識だったのだとか。
清張は部屋で執筆することもありましたが、タクシーや国鉄の汽車で外へ出かけることも多くあり、その時には柳行李のお弁当箱をお渡ししていたのだそう。
また、旅館の周辺を散策したり、先代のご主人と川で釣りをしたりと、地元で過ごすことも。時が経つにつれて次第に「松本清張さんがゑびすやに泊っているらしい」と噂が広がりますが、執筆活動の邪魔にならないように「そんな方はいない。そんなに偉い人が旅館にいるわけがない」と、滞在中はその存在を隠し通していたそうです。

また、大正館の2階「明月の間」の隣りには書斎があり、こちらは以前、湯上り休憩室でしたが、清張が時々執筆活動の部屋として使用していました。滞在中の後半は、鍵を渡して貸切にしていたのだとか。現在では「清張の書斎」として一般公開されています。昭和を代表するミステリー作家が見た景色を眺めて、執筆当時の様子を想像したくなりますね。

ごんすけの湯

また、清張はゑびすやの温泉を気に入って、1日に何度も入浴することもあったのだそう。なかなかお目にかかれない源泉かけ流しの温泉は、当時も最高の贅沢だったのですね。

旅館の醍醐味であるお料理も見逃せません。11月6日にカニが解禁されるのに合わせて、松葉ガニをたっぷり使った贅沢なメニューをいただけます。ゑびすやでは「カニ丸ごとを食す」をモットーに、余すことなくカニを食べることはもちろん、食後に出たカニの殻を粉砕し、契約農家さんに肥料として提供しています。野菜や果物まで安心・安全にいただけて、贅を尽くした絶品カニ料理をご堪能あれ。

■■INFORMATION■■
丹後の湯宿 ゑびすや
場所:京丹後市網野町木津196-2
電話:0772-74-0025
https://www.h-ebisuya.com/

天橋立を望む絶景旅館と与謝野夫妻

【宮津市】対橋楼

宮津市・天橋立の入り口ともいわれる廻旋橋の目の前にあるのが「対橋楼」です。こちらの旅館は、1690年に智恩寺山門前に名物・智恵の餅を売る「勘七茶屋」として創業したのが始まり。次第に天橋立を訪れる人が増え、1868年に勘七茶屋の向かいに対橋楼を創業しました。旅館の名前は当時の宮津藩主のお殿様が天橋立に訪れた際、天橋立に対して絶景の場所にあることからその名前を命名されたのだそう。

貴重な創業当時の写真がこちら。明治の初めにこんなに立派な旅館は珍しいかもしれませんね。

玄関から入ってすぐの所にあるロビーには、土間打ちの床に囲炉裏が。現在ではあまり見られない囲炉裏が目の前にあり、ついつい魅入ってしまいそうです。さらに旅の疲れを癒す智恵の餅もいただけ、身も心も満たされます♪

また、お部屋は天橋立に近いこともあり、どの部屋からもその景色を楽しむことができます。特に「モダン和室」(写真)や「和のベッドルーム」からは廻旋橋も眺められますよ。お昼は観光で、夜はお部屋でゆっくりと天橋立を見ていられるなんて、他にはない贅沢ですね。

こちらでは歌人・作家の与謝野晶子を含め、多くの歌人が訪れています。館内にはミニギャラリー「晶子の部屋」を設け、晶子・寛(鉄幹)夫妻の掛け軸や、野口雨情、林芙美子の色紙などを展示しています。作品には天橋立や廻旋橋の歌も多くあるので、当時の風景を想像しながら鑑賞してみるのもおすすめです。

与謝野晶子・寛夫妻は、1930(昭和5)年5月に丹後に訪れた際、対橋楼に宿泊しました。その際に広間で丹後を巡った時の歌を詠んだのだとか。また、しばらくして1930(昭和15)年には、晶子と末っ子の娘・藤子と2人で訪れています。
天橋立の魅力もさることながら、旅館もリピートされているところに対橋楼の魅力を感じますね。

また、2006(平成18)年には、天橋立内に与謝野寛・晶子夫妻の歌碑が建立されました。完成時には藤子さんも訪れ、「父と母が寄り添って立っているようだ」と喜ばれていたのだそう。ぜひ、歌碑の方にも足を延ばしてみてくださいね。

提供期間11月6日~3月下旬

対橋楼の冬のお料理には「松葉がに」が登場します。その身は濃く、甘く、豊かな香りにぷりぷりした食感は、海の京都ならではの贅沢な味わいです。お造りや蒸し、焼きなどバリエーション豊富に楽しめますよ。

提供期間12月中旬~2月下旬

さらに、丹後地域発祥といわれる「ぶりしゃぶ」もおすすめ。ブリは80センチ以上、10キロ以上にも成長する出世魚であり、丹後地域では縁起物として好まれています。良質な脂を蓄えたブリは、薄くスライスしても旨味と程よい食感を楽しめますよ。多くの歌人も食したであろう冬の味覚を存分に味わってみてはいかが?

■■INFORMATION■■
対橋楼
場所:宮津市天の橋立回旋橋畔
電話:0772-22-2101
https://taikyourou.com/

名だたる偉人の作品が並ぶ「小さなちいさな美術館」

【宮津市】文人墨客の宿 清輝楼

元禄年間(1600年代末)に創業した「清輝楼」は、古くから多くの文人墨客に愛されてきた老舗旅館です。訪れた人の中には、京都の絵師たちや野口雨情、菊池寛、吉川英治といった名だたる作家・詩人も。その際に彼らが遺していった襖絵や名書、詩歌などの作品は今でも旅館に保存されています。

その作品たちをより多くの人たちに見てもらいたいという想いから、こちらでは「小さなちいさな美術館」と称して、館内のいたるところに展示しています。
早速、展示されている作品の一部を見てみましょう!

まずは3階の大広間から。こちらは宴会などに使われている場所で、隣の広間と合わせると105畳もあるのだそう!そして1番に目を引くのが幕末~明治時代に活躍した絵師・日本画家の鈴木百年が描いた『十二ヶ月押し絵貼り襖』。彼の作品が一堂に会するのは京都の美術館でもなかなかなく、現役の芸術家さんも勉強に見に来られるのだとか。

続いては宮城県仙台市にある輪王寺の無外和尚の書。彼は書の道でも有名で、無外和尚の書を日本三景の旅館に一筆ずつ遺す活動の際に、清輝楼が選ばれました。書には『蒼龍臥波』としたためられていて、これは旅館の3階から天橋立を見ると、まるで蒼い龍が波に臥(ね)ているように見えるという意が込められています。ぜひ窓からの景色と合わせて眺めてみてください。

2階の中廊下の天井付近には、全長9メートル10センチの長さを誇る『与謝江海図』(作者不明)が。こちらは江戸時代後期の作品で、丹後半島の先端、経ヶ岬から天橋立付近までの東海岸が描かれています。絵には丹後半島の名所やお休み処なども丁寧に落とし込まれており、当時のガイドブックのような役割でした。写真がなかった時代でも、当時の様子を知れると思うと感慨深いですね~。写真では全貌が見えにくいですが、HPにも掲載されているので、ご参考ください。

1階の「文人の間」には、明治以降の文人墨客の作品が展示されています。
写真は詩人・野口雨情の書。名前を聞いてもピンとこない方もいるかもしれませんが、童謡『七つの子』や『シャボン玉』などの作詞をした人なんですよ。他にも彼が遺した詩は数知れず。音楽の教科書を開くと彼の名前がたくさんあるかもしれませんね。

吉田茂の書

ほかにも、第45代内閣総理大臣を務めた吉田茂、『宮本武蔵』『新平家物語』などを書いた小説家・吉川英治、といった誰もが知る偉人たちの書が展示されています。

この「小さなちいさな美術館」は、宿泊やお食事で利用した方のみ見学できます。宿泊のハードルが高いなぁと感じる方は、まずは日帰りでお食事をいただくのもおすすめ(完全予約制)。冬期はカニ料理や寒ブリのしゃぶしゃぶが登場しますよ。昼食・夕食の時間帯で利用できるので、予定を立てて訪れてみてくださいね。

■■INFORMATION■■
文人墨客の宿 清輝楼
場所:宮津市魚屋937
電話:0772-22-4123
https://www.seikirou.co.jp/

 

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