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丹後は墳墓&古墳パラダイス 京丹後市に古代王国があった!?~前編~

海の京都 発見

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 まち歩きと観光をこよなく愛するライターさかもとみえです。さて、みなさん!!今、女子の間でじわじわと古墳ブームがきています。なんと古墳のグッズやアクセまで売っていて、コアなファンがいるようです。

 実は、約2000年前(弥生時代後半~古墳時代)京都府の北部、京丹後市周辺に王国があったとされています。そこには約6000基にもおよぶ墳墓や古墳があり、古墳のパラダイスなんです!
 丹後の人はとっては当たり前のことなんですが、そうでない私や古墳ファンにはバズる観光ネタ!!古墳って、古墳時代のお墓のことをさし、弥生時代のお墓は墳墓っていうらしく、そんなちょっぴり自慢できるトリビア的豆知識もたまに挟み込んでいきたいと思います。
 今回から前編・中編・後編3回にわたって、古代丹後王国の歴史や、古墳の見どころ、伝説、古代グルメまでご紹介します~。

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【写真提供:京丹後市観光協会】 丹後町の城嶋公園

 この美しくのどかな丹後の海に壮大な歴史ロマンが詰まっていると思うと、グッときますね。
 先人たちの古墳にかけた情熱は本当にスゴイ!人力で作ったとは思えない!!古墳は先人たちのパワーをいただくことができる、ある意味パワースポットかもしれません。古代丹後の古墳や遺跡を巡り、古代人のライフスタイルや考え方、キモチや好み、ファッションをイメージするだけで、SNSでつぶやいてみたいことがたくさん出てくるのではないでしょうか。

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古代・丹後王国ってなに??

 ここ丹後は古代「タニワの国」と呼ばれ、丹後半島を中心とした国があったとされています。そこでは魚を釣り、船や塩を作り、巧みな航海術をもつ人々が活躍していたそうです。また丹後は、北九州や山陰とともに、日本海を挟んで朝鮮や中国まですぐのとこにあり、良港に恵まれていることから古代日本の表玄関だった場所。国際貿易都市として栄え、大陸から最先端の高い技術と文化が流入し日本のなかでも、とくに権力の強い王をもち「ヤマト政権」と肩を並べるほどの大きな国「丹後王国」が存在したのでは!?という驚きの歴史があります。

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丹後に巨大な古墳がある3つの理由

 「古墳」のイメージというと大半の人が、教科書で習った、鍵の穴のような形をした大仙古墳(仁徳天皇陵)前方後円墳を思い浮かべることでしょう。

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 丹後王国にも大仙古墳に匹敵するレベルのすっごい王墓がある、そのワケを探ってみましょう。

(1)古代日本の顔!実はインターナショナルシティ

 弥生や古墳時代、日本の表ゲートが日本海側だったことから、中国との貿易や工業が発達し、とても裕福な都市だったそうです。
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【写真提供:京丹後市観光協会】 久美浜湾の潟湖

 そこでキーワードとなるのが「潟湖(せきこ)」。潟湖というのは砂洲によって外海と隔たれた塩湖のこと。
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【写真提供:京丹後市教育委員会】 今はなき竹野潟のジオラマから潟湖と古墳

 丹後には、久美浜湾、離湖、阿蘇海の潟湖が現存。その周辺には地域最大の古墳や由緒ある神社などがあり、たくさんの船が往来する国際的な港だったことが想像できます。現存する潟湖もあわせて巡ってみましょう!
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【資料提供:京丹後市教育員会、「丹後古代の資料館展示ガイド『丹後王国の世界』」より】

(2)あのスーパーヒロイン卑弥呼がいた!?かも!!??

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【イラスト:かたおか朋子】

 丹後の遺跡から当時の日本では珍しい鉄やガラス、水晶が数多く出土していることから、モノづくりの技術がとても進んでいたということがわかります。
 赤坂今井墳墓から出土したガラス管玉は、当時中国で使用されていた青顔料が使われ、鮮やかなロマンチックブルー。ネックレスやブレスレットに使われていたものもあり、なんと1つの棺から約600個ものガラス玉が出土したそうです。大陸との関わりの深さがうかがえます。

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【写真提供:京丹後市教育委員会】 赤坂今井墳墓

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【写真提供:京丹後市教育委員会】 赤坂今井墳墓から出土した頭飾りを復元したもの

 奈具岡(なぐおか)遺跡からは弥生時代の水晶玉を作る工房の跡が96基が発見され、日本有数の水晶玉の製造工房だったことがわかったそうです。どの工房からも見つかったのは未完成品や失敗品ばかりで、完成品は見つからなかったといいます。弥生時代の日本では水晶玉の出土が極めて少ないことから、この遺跡でつくられた水晶玉は「made in丹後王国」として朝鮮半島への輸出し、そのかわりに鉄素材を輸入していたとも考えられます。
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【所蔵:京都府埋蔵文化財調査研究センター/写真提供:大阪府立弥生文化博物館提供(出合明撮影)】未完成の水晶玉と工具類

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【所蔵:京都府埋蔵文化財調査研究センター/写真提供:大阪府立弥生文化博物館提供(出合明撮影)】奈具岡遺跡の鉄製品

 ここでちょっとまとめますと、弥生時代の後期、大和や河内の国などの近畿の有力な権力者たちの墳墓には入っていなかった鉄や水晶。それが、丹後王国の王墓からたくさんの鉄剣やアクセサリーなどの副葬品が出土!そのようなことから、「あの女王・卑弥呼の邪馬台国が丹後にあった!?」とする本もでてきました。畿内説VS九州説あるところで、さらに「VS丹後説」と歴史ロマンを想像するのもおもしろいかもしれませんね。

(3)丹後発!古代シンデレラストリー

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【イラスト:かたおか朋子】

 『古事記』や『日本書紀』によると、丹後の王をあらわしたと考えられるタニワノミチヌシ王のお姫さまたち4人全員が垂仁天皇の后となり、なかでもヒバスヒメは皇后になったという記述があるといいます。さらに垂仁天皇とヒバスヒメの間に生まれた5人の子どものうち、天皇と伊勢の斎王となったとの記述もあり、さまざまな伝承はあるものの、古代丹後の王が天皇と親戚関係にあったということが推察できます。ここからも丹後王国の権力が強かったこと、日本にとって重要な土地であったことがわかり、巨大な古墳が存在することに納得します!

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【資料提供:京丹後市教育員会、「丹後古代の資料館展示ガイド『丹後王国の世界』」より一部抜粋】
日本書紀にからみる天皇家と丹後の関係の一部。【】は古事記によるもの

 さて、いかがでしたでしょうか。次回の中編はイラストを使って古墳の基本的な知識をお勉強、そして京丹後おすすめの古墳ベスト3をご紹介します。お楽しみに~。

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