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平安時代の歴史ドラマ「考証」というお仕事 佐多芳彦先生に聞いてみた!

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佐多芳彦

歴史モノのドラマや映画、アニメを見ていると、スタッフロールで「時代考証」「風俗考証」という言葉を目にしたことはありませんか?この「考証」という仕事は、作品作りに欠かせない、とても重要な役割を担っています。
今回、近年のNHK大河ドラマやアニメ「平家物語」「犬王」などで風俗考証を務める立正大学文学部教授の佐多芳彦先生に「考証」についてと、2024年の大河ドラマ「光る君へ」の見どころなどをお聞きしました。

「時代考証」と「風俗考証」の違い

―佐多先生が携わっておられる「考証」というお仕事ですが、一体どのようなものなのでしょうか?

「考証」とは主に、大きく2つに分かれます。1つは「時代考証」、もう1つが「風俗考証」です。「時代考証」とは、主にストーリーに関わる、史実と物語の整合性をうまく調整していくものです。私が携わっている「風俗考証」は、画面作りに直接関わっていまして、衣装や、建築のようなセットから、細かいところでは人物の所作まで、皆さんがテレビで見るものに直に関わっていきます。
来年の大河ドラマ「光る君へ」でいうと、平安時代の空気をどのように出していくのか、それをスタッフと相談しながら一緒に作っていくこと、それが考証という仕事です。

佐多芳彦

―「風俗考証」の仕事は画面作りということですが、具体的にどのようなことをされているのでしょう?

自分が入るタイミングにはいろいろなケースがありますが、台本を作る段階で担当者の方から相談を受けることもありますね。演出のアドバイスをすることもよくあります。
ドラマ制作において、「考証会議」というのがあり、その場で「この時代にこれはある、ない」という話がされます。そこから始まり、「誰がどんな服を着る」や、「どんな部屋にするか」など、実際の画面作りを進めていきます。実際の撮影現場にも、慎重な対応が必要なシーンというものがあり、大学の授業がない限りは最大限お手伝いできればと思って伺うこともありますよ。
初めて大河ドラマの撮影に参加したのは2011年の「平清盛」の時でしたが、「誰々の歩き方がこれでいいのか」という、言葉ではうまく答えられない質問をされた時に、現場で説明するよりないと。そこから現場通いは続いています。

牛車

―撮影現場に行かれることもあるのですね! 風俗考証という仕事の幅の広さには驚きました。

画面の中ってとても不思議な世界で、平安でうまく落ち着いているところに、例えば鎌倉や室町のものが入ってくると、なんとも言えない違和感を覚えることがあるんですね。文化の水準や技術の水準、いろいろな価値観もあると思うんですけど、その中で他の時代のものというのは異物のように見えるんです。それを修正して排除していき、適したものにしていかないといけません。例えば皆さんが「源氏物語絵巻」を見て感じる統一した平安のイメージというものがあると思うのですが、それと合わなくなってきてしまうんですよね。

―風俗考証の仕事をしていて良かったと思うことはどんなことでしょう?

私の専門が有職故実(※)という分野なのですが、平安時代の服を着た人たちがスタジオに満ちているんですよね。そこに行くと勉強になることがたくさんあるんです。例えば、この服は実際に人が着るとこんなところにシワが入るのか…とか、こんな質感になるんだ…とか。平安時代の服というのは(かさばるので)割と空間を占めるんですね。それが着物単体ではわからないし、かといって絵巻物を見てイメージは掴めるのですが実感がないのです。
スタッフの皆さんと相談しながらシーンを立ち上げ、それを実際に目の当たりにすると、実は研究上、私にとってドラマ制作の現場には大変な研究資源がたくさんあるところだと気づきました。
※有職故実:朝廷や幕府の儀式や儀礼、服装などを研究する学問(後述でも出てきます)

 

2024年の大河ドラマ「光る君へ」の見どころ

紫式部像

―今年放送の大河ドラマ「光る君へ」の主人公は、『源氏物語』の作者である紫式部です。彼女が生きていた平安時代とは、どのような時代だったのでしょうか?

平安時代は400年あり、実は江戸時代より長いんですね。その400年の中でも、ちょうど真ん中より後半にかかってくる「摂関時代」と呼ばれた頃(10世紀後半から11世紀後半)が舞台です。
奈良の平城京から桓武天皇によって都が遷され、新しい国家づくりを一生懸命やっていたのが一段落し、今度は藤原氏という一族が天皇家との関係を深めながら徐々に力を持っていく時代にあたります。

佐多芳彦

―藤原氏と言えば、飛鳥時代(藤原鎌足)の頃から政治の中枢にいた一族ですね。

一般の方は「摂関家」と言うと、初めからすごい権威を持っていると考える方が多いと思いますが、400年の歴史の中で、藤原氏が政治的決定をする会議の場で絶対的多数になるのは道長の頃だけなんです。少しずつ、数百年の執念で藤原氏が力を増していき、一つの頂点に達したのが実はこのドラマで扱う藤原道長の頃です。
この時代は典雅で華やか、ものすごく優美な時代ではあるんですけど、それは表の話で、裏側は戦争でことを終わらせることができない貴族が知力と企みでそれを切り抜けていくんです。そこは武士の世にはない緻密な頭脳戦で、巧みな政治の力も必要になってきます。

そして、その中で女性たちがどのように動いていくのかが、ドラマを見ていただくにあたっての大きな注目点です。奈良時代の女性は、我々が思うより遥かに力を持って、朝廷の中でも存在感がありました。ところが、徐々に男性中心の社会へと変わっていき、その中で出てきたのが紫式部清少納言という、平安時代ならではの新しい女性の姿なんですね。
彼女らは役人ではなく、天皇の后に付随することで力を得ていく人たちですが、彼女たちの実際の姿は、現代にはあまり伝わっていません。

このドラマでは、制作陣が当時の世情や人間関係を踏まえながら、さまざまな場面を再現していると思いますから、ご覧になっていただくと平安時代の女性たちを理解していただけるヒントがあるのではないかと思っています。

スマートフォン

画像:フォトAC

―平安時代の文化には、現代に共通するものもありますよね。この時代の「和歌」も現代でいう「SNS」みたいなものです。現代の私たちが見るにあたっても、意外と共感しやすいドラマになるのかなと。

そうですね。私の学生たちも当たり前のようにSNSを使っています。求婚をしたり、愛情を伝えたりなど、何か連絡する時に和歌に何かを託して伝えるのは平安時代独特ですけども、現代人が短文のやりとりをしているのを見ると、使われているメディアがデジタルかアナログかの差はあれど、意外に似ていたりします。
人間の欲望は時代を超えてもほぼ変わらないので(笑)、平安時代を眺めていると今の世の中を考える足しになるような気づきもあったりします。平安は、現代につながる文化が生まれた時代ですので。ひらがなができて初めて和歌が成立しますし、その傍でカタカナが生まれて、現在の漢字を含めた文字の文化というのも、今に繋がっています。それから、四季を通じてひな祭りや端午の節句、七夕なんかも、元になった行事が出来上がってくるのは平安なんですよね。

現代の我々と平安時代の彼らには共通点があって、だから我々も理解できるかもしれない。意外と価値観が似ていて、親近感のある時代なのかもしれません。
鎌倉以降、何かあれば武士がエイヤっと武力で解決するやり方はやはりちょっと乱暴なんですけど、この時代は大きな戦乱が無いだけに、なんとか物事を平和に解決していこうとしている部分、そういった苦心プラス企みというものが、ほぼ現代と変わりないのかもしれません。

六条院

―今回のドラマで映像として再現される平安時代ですが、注目ポイントはどこでしょうか?

あの時代の街並みや人々の暮らしぶりは、かなりの精度で制作スタッフと共に再現できるよう努めました。例えば、庶民の生活の場である京都のまち、そこを歩いている男性はみんな烏帽子を被っていますし、女性たちも笠を被るなど、平安以降の武士の時代には絶対にないような風景が広がっています。
貴族の世界ばかり注目されがちなのですが、庶民の暮らしぶりや平安の世の街並みなど、このあたりも同じように力を入れて作っているので、そこにも注目していただけると楽しいと思いますよ。

あと、おそらくご覧になってびっくりすると思うことは、装束の全絹製の服が画面の中でどれほど美しく見えるかということです。4Kカメラで撮ると、絹は信じられないくらいキメの細やかさで見えます。色彩の発色が抜群なんですよね。戦国時代とは全然違う色彩世界だということを、みなさんに知っていただき、見ていただけると嬉しいですね。

平安時代と京都

鴨川

画像:フォトAC

―平安時代から今も京都に残っているもの、変わらないものはあるのでしょうか?

今の京都御所は、戦や火事で場所が転々と変わっていますが、平安時代を作り直そう、復元しようという強い意志で造っているから、平安の朝廷の面影はすごく感じます。現地で建物を眺めていると、“平安時代とはこういう世界だ”ということは伝わってきますね。
当時のまま残っているところはなかなかありませんが、京都市に流れる鴨川(写真)は平安からありましたね。あとは、上賀茂神社は参道が昔のまま残っていますし、山寄りの嵯峨野の方に行ってみたりしても、そんなに景観が変わってるとは思いませんから、やはり京都というまちが今も、平安の世を大切にしているのは事実だと思います。

京都・祇園

画像:フォトAC

―先生が感じる、京都という土地の魅力を教えてください。

私は、年に2~3回京都へ行っていまして、街並みから感じられる人のリズムであるとか、いろいろな建物のしつらえなどがすごく懐かしい気もしながら、同時にすごく自信を持って「これは古くなんかなってないぞ!」という京都人のメンタルを感じるんですよね。町屋なんかも、東京だと「小さいうちだね」で終わってしまいますが、京都だとそうではなく、とても綺麗な数寄屋の戸にしてあるなど一筋縄ではいかないプライドを感じました。
京都の中心部を歩いていても感じますし、郊外の方に出た時にも、日本の原風景が広がっているなど、やはり京都の人たちは昔からあるものを大切にしているなというのをつくづく感じました。

献上物

画像:(右上・左下)フォトAC/(右下)海の京都フォトギャラリー

―当時、確かに日本の中心は京都でしたが、全国から素晴らしい献上物が集まってきていたからこそ、中心としての栄華を極めていたとも思います。そういう視点で見ると、全国の方が「自分たちの地域の良さや魅力」を考えるキッカケになるかもしれませんね。

はい、みなさん自分のまちについても振り返っていただく、自信を持っていただく方がきっと良いと思います。
平安時代は、貴族たちが朝廷やいろんな人に贈答品として、自分たちが荘園から手に入れたものや、大陸から取り寄せた唐物(香木や磁器でなど)を贈っていました。
ただ、絹製品はこの頃すでに、日本人も技術的に世界有数のレベルにあり、簡単に買い取らなかったみたいですよ。京都は特に、繊維とか衣服に対する感覚がすごく優れていて、経験豊富だと感じます。大袈裟にいうと、DNAレベルで、見聞きしたことが京都の人たちには残っているのかもしれないと…。京都で生まれ育つとさまざまな見聞を深めると思いますが、そういう環境の中にいるので、繊維や絹に関する感覚も先鋭化していくのだと思いました。
京都には、着物の古着屋さんがありますよね。お店を覗くと、時々すごく良いものを売っているのを見かけ、京都人は売るものの選別が違うなと思いました。そういうセンスは、平安の部分がちょっと残っているのだろうなと思います。

「歴史を学ぶこと」の面白さ

佐多芳彦

―最後に、先生が思われる歴史を学ぶことの面白さについて、伺えますでしょうか?

私の専門分野である「有職故実」とは、元々は平安時代くらいに生まれた知識の名前で、貴族たちがいわゆるパブリックとプライベートの場で生活をしていく上で欠くことのできない実学です。このような分野を研究し続ける上で、平安時代の生活とはどういうものだったのかを眺めていくと、現代に繋がっていくことが必ずありますし、学ぶところがあるんですよね。

逆に現代を見ている時に、平安時代のことで「あ、これのことだ」とわかったり、気づきがあったりするんですよ。そのような気づきの往復運動があり、それが私が歴史をやっている大きな理由だと思います。そこでわかってくるその時代の人たちの姿とか考え方というものにも興味を持ち、面白いと感じます。
今回の「光る君へ」のようなドラマや映画、アニメがきっかけとなって歴史に触れ、少しでも興味を持ってくれる人が増えることを願っています。

―本日は本当にありがとうございました!!

◾️◾️取材協力 ◾️◾️

立正大学文学部史学科教授 佐多芳彦先生
2011年大河「平清盛」の儀式・儀礼考証に始まり、近年は「麒麟がくる」「鎌倉殿の13人」「どうする家康」、2024年は「光る君へ」で風俗考証を務める。

日本放送協会 メディア総局

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