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歴代天皇の住まい「京都御所」を大解剖!平安時代の宮廷文化が残る場所

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紫宸殿全景(春)

画像提供:宮内庁

『源氏物語』や『枕草子』だけでなく、平安時代をテーマにしたドラマや漫画でもたびたび登場する「御所(ごしょ)」。
平安時代の帝や后、女房たちが暮らしていた場所だという知識はありますが、一体どんなところだったのでしょう? そんな疑問を紐解くべく、京都御所を訪ねてみました。

「御所」とは天皇の住まいのこと

京都御所

御所とは、「内裏(だいり)」とも呼ばれ、天皇の私的空間を含めた宮廷のことを言います。
京都に都が遷された794年当初は、現在の場所より西(千本丸太町辺り)にありましたが、幾度も火災で消失し、その都度、立て直しされました。御所を再建する間、天皇は母方の実家や貴族の屋敷などで仮住まいをするのですが、それを「里内裏(さとだいり)」と呼びました。
現在の京都御所がある場所は、南北朝時代の1331年、北朝の光厳(こうごん)天皇の里内裏・土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)があった場所。光厳天皇がここで即位をしたことから、以降この地に御所が置かれることになり、明治維新までの500年間、歴代の天皇が住まうことになりました。

平安時代の様式を色濃く残した建物

京都御所

とはいえ、その後も火災や時の権力者の手により何度も建て直しが行われ、その度に敷地も広く、建物も時代に合わせた形になっていきました。
そのようなわけで、現在の京都御所は幕末の安政21855)年に建てられたものなのです。

紫宸殿

画像提供:宮内庁

実はその67年前の天明8 (1788)年、京都の歴史上最大の火災と呼ばれる「天明の大火」で御所が焼失。再建費用は徳川幕府が出すことになっていましたが、時の光格(こうかく)天皇は、「自分の住まいは小さくなってもいいから、途絶えていた平安時代の儀式を復活させるため、紫宸殿や清涼殿を当時のように大きくしてほしい」と希望します。
そこで平安内裏を研究していた公家の裏松固禅(うらまつこぜん)を登用し、寛政2(1790)年、平安時代の古式にのっとった形で復古したのです。

ところが再び御所をはじめ京都の町が火災になってしまったのです。ですが、今回も前回同様に、復古した御所の形にしたがって再建。これが今の京都御所なのです。
ですから幕末に建てられてはいますが、むしろ平安時代の様式を強く受け継いでいる建物といえるわけです。

あの家茂将軍も通った門と玄関

宜秋門と御車寄

宜秋門

画像提供:宮内庁


御車寄

画像提供:宮内庁

さて、前置きが長くなりましたが、実際に京都御所をめぐってみましょう。
最初に訪れるのが「宜秋門(ぎしゅうもん)」(写真上)と玄関の「御車寄(おくるまよせ)」(写真下)。
共に公家、将軍など、位の高い人だけが使用できる門と玄関です。とはいえ身分が高い人でも門の前で牛車や輿から降り、徒歩で入るのが決まり
皇女和宮と結婚した、江戸幕府14代将軍・徳川家茂もこの門を歩いてくぐり「御車寄」から入ったのだとか。後に天皇と対面を重ね、特別に「御車寄」に輿を乗り付ける許可が下りたんですって。 

19世紀京都画壇のタイムカプセル

諸大夫の間

諸大夫の間

画像提供:宮内庁

「諸大夫の間(しょだいふのま)」は、参内した将軍や公家、諸大名が入る控室です。
東(写真奥)から順に身分が高い方が使用し、それぞれ「虎の間」「鶴の間」「桜の間」と名が付いています。ちなみに「桜の間」を使用する人は御車寄から建物に入ることができず、諸大夫の間の外から入ります。

諸大夫の間・虎の間から

画像提供:宮内庁

諸大夫の間は、なんといっても障壁画がとっても素晴らしいのです! 「虎の間」は岸派、「鶴の間」は狩野派,「桜の間」は原派と、幕末の京都画壇を代表する流派の中でもトップクラスの絵師が担当しています。
驚くべきは、御所の再建に要したわずか1年半という短い期間に、なんと約1800面もの障壁画が描かれたということです。それを可能にしたのは97人もの京都の名だたる絵師たち。彼らが一堂に集められ障壁画を描きました。ゆえに京都御所の障壁画は19世紀京都画壇のタイムカプセルともいわれています。

京都御所の象徴的建物

紫宸殿

紫宸殿全景(春)

画像提供:宮内庁

「紫宸殿(ししんでん)」は御所の中で中心となる建物・正殿です。さすがの迫力ですね!
この大きさにすることを歴代天皇が希望したと思うと、感慨もひとしおです。
ここで代々、天皇の即位の儀式が行われ明治・大正・昭和と3天皇の即位の儀式もここで行われました。

右近の桜 左近の橘

画像提供:宮内庁

正面にはお雛様と同じく、右に「左近の桜」左に「右近の橘」が植えられています。なぜ右なのに左近、左なのに右近と呼ぶのかと言うと、天皇は南(庭の方)に向かって座っているので、天皇から見た方角で名づけられているのだとか。

高御座・御帳台

画像提供:宮内庁

さて殿上は格子の「蔀(しとみ)」が閉まっていて、中が見えませんが、部屋の区切りが無く広々とした空間になっているそうです。そして天皇が立つ高御座(たかみくら、写真手前)と皇后が立つ「御帳台(みちょうだい、写真奥)」が置かれています。平成、令和天皇の即位の儀式は東京の皇居で行われたので、この高御座を東京に持って行き、即位の儀式が行われました。

紫宸殿

画像提供:宮内庁

正面の南庭は広大な白砂になっています。ここで重要な節会や儀式、大河ドラマにも登場した「五節の舞」なども行われました。名前に “庭” と付いていますが、私たちが思うような池があって草花が植えられている愛でるための “庭園” ではありません。庭は、建物と一体となった儀式の場だったのです。

紫宸殿

その紫宸殿は、朱や鉛丹という顔料を使った丹塗り(にぬり)の柱が続く回廊で囲まれています。発色がとてもキレイだなと思ったら、これは定期的に塗り替えが行われているからなんですって。

檜皮葺

回廊の外側には、紫宸殿で使用されている「檜皮葺(ひわだぶき)」屋根の模型が展示してありました。こうやってヒノキを薄い板にして重ね、竹のクギで打ち付けて屋根を葺いていくのだそうです。
2024年度末ぐらいから紫宸殿の屋根の葺替行為が始まるのだそうです。そうなると今の姿が見られるのは10年後! 檜皮葺きといい、丹塗りといい、常に修繕をしていくことで後世にその技術が伝わっていくのですね。

天皇のオフィス&プライベートルーム

清涼殿

 

清涼殿

続いては紫宸殿の北西に立つ「清涼殿(せいりょうでん)」へ向かいましょう。
清涼殿は天皇が暮らしていた建物。『源氏物語』や『紫式部日記』『枕草子』などにもよく登場するせいか、親近感があります。
本を読んでいるだけでは大きさが分からなかったのですが、実際に見るとそんなに広い建物ではないんですね。なんというか、ちょうどよい大きさという印象です。

清涼殿 見取り図 

図にしてみると、こんな感じ。私たちがいるのが手前の東庭です。建物の手前側(赤線より前)は天皇のオフィス的な場。奥は比較的プライベートな空間です。
昼間、天皇は畳が敷かれた「昼御座(ひのおまし)」に座り、公務や決裁を行なっていました。会議の時は藤原道長など大臣たちが「庇の間(弘庇=ひろひさし)」に座り、昼御座との間にある「御簾(みす)」を下ろして話をしたそうですよ。なるほど、こういう距離感だったのですね。

画像提供:宮内庁

昼御座(写真手前)の後ろにあるのが「御帳台(みちょうだい)」。カーテンのような帳(とばり)は開け閉めできるので、天皇が休憩する時はここに入られました。
御帳台の前では狛犬と獅子が守っていますが、『枕草子』に実は獅子と狛犬は重しとして使われていた、とも書かれています。

夜御殿

御帳台の右奥は天皇のベットルーム「夜御殿(よんのおとど)」。基本的に平安時代の建物は壁がないのですが、ここだけは「塗込(ぬりごめ)」といって壁で囲まれた部屋のようになっています。畳の後ろに大宋屏風といって古来より打毬(だきゅう)をしている人を描いた屏風が立てられています。
後に「御常御殿(おつねごてん)」が建てられ、そちらで暮らすようになってからは、ここで休むことはなくなりました。

清涼殿

写真では見えにくいのですが、清涼殿で印象的なのが美しく爽やかなブルーを基調とした障壁画です。このオフィスゾーンにある障壁画は、中国の故事などを題材にした「唐絵(からえ)」

清涼殿西廂

画像提供:宮内庁

通常の観覧では見ることができませんが、その後ろにある天皇のプライベートゾーンの障壁画には日本各地の名所などの「大和絵(やまとえ)」が描かれているそうです。当時、公式な文章は漢文で書かれますし、やはりオフィシャル=唐様だったのでしょうね。

年中行事障子表

画像提供:宮内庁


昆明池障子

画像提供:宮内庁

そうそう、清涼殿にある障子も忘れてはいけません。弘庇ひろびさしの南側には宮中で行われる年中行事が書かれた『年中行事障子(ねんじゅうぎょうじのしょうじ)』(写真上)、北には『昆明池障子(こんめいちのしょうじ)』(写真下)が、さらにその北端に『荒海障子図(あらうみのしょうじ)』が立てられています。

荒海障子

画像提供:宮内庁

この『荒海障子図』は『枕草子』にも出てくるほど有名な障子で、「北側の仕切りになっている障子には、海絵や手長・足長などという恐ろしいげな生き物が描かれている。弘徽殿の上の御局の戸を押し開けると、いつも自然と目に入ってくるのが嫌で(憎くて)笑うのです」と書かれています。
展示されている『昆明池障子』や『荒海障子図』に加え、ブルーを基調とした障壁画の数々は使われている顔料などを分析し、同じ画材を使って模写したものが入れられているんですって。このように研究・保存することで当時の技術も分かりますものね。

清涼殿の東庭も白砂になっていて、ここで儀式や行事が行われました。そして御殿寄り南側に漢竹,北側の少し離れた場所に呉竹が植えられています。儀式の時に整列したり時に目印とすることがあったのだとか。


ここは御殿の北端にある、「滝口(たきぐち)」と呼ばれる御側溝(みかわみず)への水の落ち口。ここに控えている武士は「滝口の武士」とよばれました。
毎晩、ここで行われる武士たちの点呼の場面は『枕草子』にも登場します。清少納言たち女房は、いつも写真の左にある弘徽殿上の御局の中から耳を澄まして聞いていて、「知っている人の名が混じる女房は時めくでしょう。また、名乗り方を聞いて “よい名乗り方だ”  “よくない” “聞くに堪えない” などと女房たちで批評するのもおもしろい」と言っています。
この付近に立つと滝口の武士と清少納言など女房たちがいた距離感が分かり、なんとなくウキウキした気持ちが想像できます。

平安時代の名残を見せる鎌倉時代の建物

小御所

池越しの小御所

画像提供:宮内庁

まだまだ見どころはありますが、「小御所(こごしょ)」へまいりましょう。
どこか清涼殿とは雰囲気が違うと思ったら、元々、平安宮内裏にはなかった建物で、12世紀後半の里内裏から造られるようになったのだとか。武家との対面の場として、また、清涼殿などの代わりとして皇位継承に関わる儀式が行われました。ちなみに毎年の和歌御会始(今の歌会始)も小御所で行われていたそうです。
建物を見ると清涼殿では見えにくかった「蔀(しとみ)」が上がっているのが見えます。というのも紫宸殿や清涼殿など平安時代のものは内開きで一枚なのですが、時代が下がると写真のように外開きで上下が分かれるようになるんですって。蔀が見えるか、見えないかだけでも建物の印象が変わりますね。そして障子がはめられるようになりました。

小御所

画像提供:宮内庁

中もワンフロアではなく、上・中・下段の間など部屋が誕生します。
実は小御所は昭和291954)年、鴨川の花火大会の火が屋根に落ちて、炎上。 現在の建物はそれから4年後に再建されたものです。
「蹴鞠の庭」を見ながらお隣りの「御学問所(ごがくもんしょ)」へまいりましょう。

江戸時代に発する武家風の書院造が特徴

御学問所

御学問所

画像提供:宮内庁

「御学問所(おがくもんしょ)」は江戸時代のはじめ、徳川家康により新しく作られた建物です。

御学問所

画像提供:宮内庁

紫宸殿や清涼殿の床はクギの頭を表に出さない、なめらかな「拭板敷(ぬぐいいたじき)」になっていますが、こちらは江戸時代らしく総畳敷。中は上・中・下段の3間を中心に6室からなり、欄間や違い棚など書院造の様式を多く取り入れています。ちなみに、ここで「王政復古の大号令」が発せられました。

御学問所

小御所と御学問所の前は、白砂の向こうに平安時代の寝殿の庭を思わせる「御池庭」があるのも特徴。池を中心とした池泉回遊式庭園で、美しい欅橋(けやきばし)もあります。

安土桃山時代に作られた新しい御殿

御常御殿

御常御殿

画像提供:宮内庁

「御常御所(おつねごてん)」天皇が日常を過ごす御殿です。
それまで天皇は清涼殿で暮らしていましたが、天正171589)年、豊臣秀吉による造営の時に新しいプライベート空間として建てられました。外から見るだけでも住居らしい印象を受ける軽やかな建物です。中は大小15の部屋があり、書院造になっているそうですよ。

御常御殿

画像提供:宮内庁

東側には孝明天皇(明治天皇の父)の好みを取り入れて作られた「御内庭」があり、癒しの空間が広がります。
庭は回遊できるようになっていて、土橋や板橋、石橋や飛石を配置。茶室も2つあり、そのうちの「鏡台(きんたい)」と名の付いた茶室の前には徳川慶喜が献上した三代清水六兵衛作の陶器の雪見灯籠があり、見学路から見ることができます。
自由に外出できなかった天皇はこのお庭を見て癒されたのかなあ。

御常御殿

画像提供:宮内庁

御常御殿はプライベート空間ですが、南側はオフィシャルな空間になっています。清涼殿を思わせる廂のある建物で、部屋の前には紅梅と白梅が植えられています。

御常御殿

画像提供:宮内庁

中は書院風になっていて東(写真奥)から上段、中段、下段の間と続きます。上段の間の奥には三種の神器のうちの刀と勾玉を納める「殿剣璽(けんじ)の間」があるんですって。

御三間

画像提供:宮内庁

「御常御殿」のお隣は三部屋からなる書院風の建物「御三間(おみま)」。かつて、ここの廂で「茅の輪くぐり」をしたり「七夕」や「盂蘭盆(うらぼん)」など内向きの行事も行われたそうですよ。なんだか楽しそう!

まだまだ建物はありますが、見学ができるのはここまで。京都御所は、建築されて169年と比較的新しくはありますが、特に紫宸殿、清涼殿はまるで絵巻物の世界のようで、平安時代の宮廷文化を十分、伺い知ることができました。
また、平安時代から江戸時代までの日本の建築様式の移り変わりも見ることができ、建築や庭の歴史博物館のようでもありました。みなさまもぜひ一度、訪れてみてくださいね。 

お話を伺ったのは…
宮内庁京都事務所 管理課 文化財管理専門官 山本徹也さん 

■■INFORMATION■■
京都御苑
京都府京都市上京区京都御苑
参観について
宮内庁京都事務所参観係
TEL 075-211-12158:3017:15
入場門:清所門
公開時間:9:0016:20(最終退出17:00)
93月は9:0015:50(最終退出16:30)
102月は9:0015:20(最終退出 16:00)
参観料:無料 申込手続不要(入場時に手荷物検査を行います)
休止日:月曜日(祝日の場合は参観、翌日休止)、年末年始(1228日〜14日)、行事等の実施のため支障のある日
※自由参観の他、職員による日本語,英語及び中国語の案内あり
詳しくはこちらを https://sankan.kunaicho.go.jp/info/20160720_01.html

令和6年春の特別公開「京都御所 宮廷文化の紹介」
日時:令和6年3月20日(水・祝)~3月24日(日)
入門時間:9:001550(最終退出16:30)
無料。申込手続不要で参観できます

 

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