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平安時代の人がどんなものを食べていたのか?〜鳥居本幸代先生に聞く〜

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2024年の大河ドラマで、いま話題の平安時代。この時代に生きていた人たちは、一体どんなものを食べていたのでしょう? 現代の私たちとそんなに変わらないの? デザートも食べていたのかしら……などなど、気になる「平安人の食生活」について、服飾文化史学者で平安文化のスペシャリストでもある、京都ノートルダム女子大学名誉教授・鳥居本幸代先生にお話を伺いました。
画像提供 部分:「古典の日記念 平安京創生館」展示及び京都アスニー(京都市生涯学習センター)、『類聚雑要抄 4巻』部分京都大学附属図書館所蔵)、画像:土佐光長 画 ほか『病草紙』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2541088(参照 2023-11-22)、ACフォト

【目次】
ヒントは平安時代創刊の百科事典
平安食は美味しくなかった?!
宴会は、うず高く盛られた豪華料理
スイーツタイムはあるの?
1日2食。夜食もあります
メタボとダイエット

ヒントは平安時代創刊の百科事典

 

鳥居本幸代先生

平安時代の貴族や庶民は、一体どんなものを食べていたのでしょう?
当時の文学作品である『源氏物語』や『枕草子』を読んでも、食事についてはほんの少ししか書かれていないのが現状なのですが、こんな疑問から問いかけたところ、鳥居本先生はこのように答えてくれました。
「おっしゃる通り、当時の記録が少ないため詳しくは分からないのですが、平安時代に作られた『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』という書物に、当時の食材や調理法などが書かれているので、そこから大体のことを知ることができますよ」

源順 撰『倭名類聚鈔 20巻』[9],那波道圓,元和3 [1617].より分部

国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2544224 (参照 2023-11-24)

源順 撰『倭名類聚鈔 20巻』[9],那波道圓,元和3 [1617].より分部
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2544224 (参照 2023-11-24)

『倭名類聚抄』といえば平安時代中期に作られた、わが国最古の百科事典です。
「“漢文を読みたい”という勤子内親王(きんし/いそこないしんのう)の願いに応じて、父である醍醐天皇が、源順(みなもとのしたごう)に命じて編纂させたものです。この本が面白いのは、内容がジャンルごとに分類されていること。そして、まず名詞を漢字で記し、続いて万葉仮名でヨミを、さらにアクセントまで付けているんです」

当時のヨミやアクセントまで分かるなんて素晴らしい!
『倭名類聚抄』について少し調べてみると、ジャンルは天文から住居、装束、飮食、草木など多岐にわたり、さらに飲食部なら稲殻(とうこく)部―稲類、粟類、豆類などといった具合に非常に細かく分類されています。

「これを読むと、平安時代の人は魚介を食べていたことが分かりますし、肉は牛・馬以外は何でも食べていたんじゃないかなと私は考えています」
牛や馬を食べなかったのは農耕に使ったり、乗り物にしたりしたから……とも考えられますが、大きなお肉を保存する方法がなかったからではないか、とも考えられるそうです。

七草
当時は、野菜も食べられていました。実は、日本原産の野菜というのはあまりなくて、中央アジア辺りから今の中国、朝鮮半島を経て、日本に伝わってきているのだそうです。
そうして、種が直接もたらされたり、届いた野菜から種をとって育てていました。
さて、その中にはどんな野菜があったのでしょうか。

大根は食べています。“おほね”という名前で出てきますよ。ですが今みたいに茎や根(白い部分)は食べないというか、茎や根が大きくならないんです。七草粥に入れる大根(写真)は白い部分が小さいでしょ? あのような感じで、葉ばかりが育ったんですね。茎や根が大きく育つようになるのは、江戸時代に入ってからなんです」

藤原道綱(藤原道長の異母兄)の母が書いた『蜻蛉日記(かげろうにっき)』には、奈良県の長谷寺に参詣に行く途中で橋寺に泊まり、夕食に「きり(切り)おほね」が出て驚いた、と書かれています
この「きりおほね」とは、切った大根の茎を湯に浸し、柚子汁をかけて和えた料理のことです。驚いたということは、いつもは葉の部分を食べていたと考えられるそうです。

「とはいえ、主食というならお米かなと思います。魚介や肉はご馳走の時だけで、普段はお米とお野菜類を少しでしょうか。あまり私たちと変わらないですね。ですが、決定的に違うことがあるんです」と、鳥居本先生は続けます。

 

平安食は美味しくなかった?!

昆布

画像提供:ACフォト

現代と決定的に違うこと、それは平安時代にはお出汁を取るという文化が無かったことです。
京都の料理は昆布出汁が基本、出汁を取るようになるのはいつからなのでしょうか。
「北海道でとれた昆布が関西に入るのは江戸時代になり、廻船業が発達してからですね。もちろん『倭名類聚抄』に昆布は出てきますが、私はお供え物ではなかったかと思っています」

貴族の食事

画像提供:「古典の日記念 平安京創生館」展示及び京都アスニー(京都市生涯学習センター)

“出汁”という概念がなかった時代に、味付けはどうしていたのでしょうか。

「よく平安時代の貴族の料理を再現して欲しいという依頼があるのですが、美味しくなかったと思いますよ(笑)。見た目もそう。彩りよく盛りつけるという考えが、ないんです。当時の盛り付けは、1つの食材だけを盛り上げる“高盛(たかもり)”でした。例えばタコならタコばかりを高く盛りつけるんです」

賀茂祭 神饌

賀茂祭 神饌 画像提供:鳥居本幸代先生

現代で言うならば、神社の神饌(おそなえ)が、イメージに近そうです(写真はイメージ)。
先生曰く、素材をただ蒸したり、煮たり、お刺身にして高く盛りつけただけで全てに味が付いていないため、自分で味を付けるのも平安時代の食事の特徴とのこと。

「当時の調味料は、、それから醤油の原型みたいな(ひしお/写真イメージ)のみ。それを小皿に入れて1つの台(お膳)にのせ、好みで付けて食べるんです。この時代は、蒸す、焼く、煮る、茹でるといった調理法は確立していましたが、調味料を使った料理法は誕生していなかったんですね。」

 

宴会は、うず高く盛られた豪華料理

『類聚雑要抄 4巻』(京都大学附属図書館所蔵)

画像:『類聚雑要抄 4巻』部分(京都大学附属図書館所蔵)

それでは次に、貴族のご馳走とはどのようなものだったのか、『類聚雑要抄』に登場する関白右大臣藤原忠実が東三条殿へ引っ越した時の祝宴の献立を見てみましょう。
宴会の食事は“大饗料理(だいきょうりょうり)と呼ばれます。この時は八の台(膳)まであるようですね。

画像:『類聚雑要抄 4巻』部分(京都大学附属図書館所蔵)

中央あたりにある一の台には、先ほど言った4つの調味料がのったお皿と箸、現在のスプーンである匙(かい)がのっています。平安時代の貴族は、箸とスプーンで食べていたんですね。
「当時の食事作法では、食器を持たなかったと思うんです。だから汁はスプーンがないと食べられないんですね。今も韓国では器を持たないのがマナーとなっていますが、あのような感じだったのではと思います。日本ではその後、器を手に持って食べるようになったので、スプーンが消えてしまったのだと思います」

『類聚雑要抄 4巻』(京都大学附属図書館所蔵)部分

画像:『類聚雑要抄 4巻』部分(京都大学附属図書館所蔵)

二の台は、強飯(こわいい)を高盛したもの。強飯とは、うるち米を蒸したもので正式な食事に出されるご飯のことです。
普段食べるご飯は、“強”に対して姫飯(ひめいい)、固粥(かたがゆ)といい、現代のご飯に当たる硬さでした。それにしても、てんこ盛りのご飯で、形も円柱状なんですね。

『類聚雑要抄-4巻』部分(京都大学附属図書館所蔵)4

画像:『類聚雑要抄-4巻』部分(京都大学附属図書館所蔵)

三の台には、スズキやタイ、コイのなます(細くきったもの)、コイの味噌(コイの刺身に味噌を付けたもの)、タイの平焼きなどに蒲鉾ものっています。
「蒲鉾は今でいう竹輪ですね。蒲鉾の“蒲”という字は“ガマ”と呼びますよね。竹の棒に魚のすり身を巻いて焼いた形が蒲の穂に似ていることから“蒲鉾”と呼ばれるようになったそうですよ」
それがいつしか、板状のものを蒲鉾と呼ぶようになるんですね~。面白い。

あ! アワビの(あつもの=熱汁)、汁膾(しるなます=冷汁)もありますね。豪華!!
この羹や汁膾なんかは、お醤油味とか付いていて欲しいところですが、やはり何もついてないとのこと。ということはお湯の中にアワビを入れているだけですか……うーん、美味しいのかなあ…。
四の台は、焼タコや蒸アワビなどがのり
五の台は、クラゲやナマコなど、
六の台は、酒杯(盃)
……と続きます。

三人官女

画像提供:ACフォト

七の台には長柄(銚子) これはひな祭りで三人官女が持っているものと同じですね。
八の台は水 
これらを見ると、全部は食べられないと思うような量を出していたようです。つまり“食べきれないほど山盛りの料理を出す”ということが、当時のご馳走だったということなのかもしれません。

 

スイーツタイムはあるの?

貴族の食事

「古典の日記念 平安京創生館」展示及び京都アスニー(京都市生涯学習センター)

ところで、これだけ豪華な食事なのですから、食後のデザートもあったのでしょうか。
「天皇主催の宴などの時は、“唐果子/唐菓子(からくだもの:写真)”がお土産にいただけたようです。“菓子”と書きますが、私たちが思う甘いお菓子とは違って、油で揚げた製菓になります。当時はおやつを食べるという発想はないようですし、お砂糖も無かったんですよ」

唐菓子

唐菓子というと現在、京都の老舗和菓子店で清浄歓喜団(せいじょうかんきだん・写真左)や餢飳(ぶと・写真右)が作られています。
「唐菓子は行事の時に頂戴するものなんです。私はその理由として、油を使っていたからだと思うんです。油は灯りに使うもので、かなりの高級品ですからね」

ここでふと、疑問が浮かんだので先生にお尋ねしてみました。

亥の子餅

『源氏物語』の「葵の巻」には、亥の月である旧暦の10月に食べる“亥の子餅”(写真)が出てくるのですが、あれはお菓子ではないのでしょうか。
「今みたいに餡子が入っている甘いものではなく、単なるお餅だったんだと思います。今はいつでもお餅が食べられますが、当時は特別なもので、何かの行事の時しか食べられなかったのではないかと思います」
なるほど、いずれも貴重な食べ物だったのですね。

 

12食、夜食もあります

おかゆ

貴族たちは1日何回、食事をしていたのかというと、食事は10時頃と16時頃の2だったようです。朝は3時頃に起きて4時頃には出勤していたそうで、家で簡単なものを食べて職場で朝食を食べる。そしてお昼には帰って来て、夕方に夕食を食べる……それが一般的な貴族の生活でした。
朝と夕ご飯は、主にご飯と野菜と汁物だったようですが、湯漬けなどの夜食は食べたようです。

お話を伺っていると、貴族と言えどもかなり質素な食事だったようです。宴会の時も、砂糖や塩、醤油を駆使した料理ではないので、ある意味、健康的な感じがします。
ですが、藤原道長の『御堂関白記』には「喉が渇いて大量に水を飲んで、痩せて体力がなくなり、目が見えなくなり、背中に腫れ物ができた」とあり、道長は糖尿病だったと言われています。どうしてなのでしょうか。

 

メタボとダイエット

土佐光長 画 ほか『病草紙』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2541088
 (参照 2023-11-22)

画像:土佐光長 画 ほか『病草紙』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2541088(参照 2023-11-22)

「この絵(写真)を見てください。平安時代末期から鎌倉時代初期頃のもので、奇病や治療法など風俗を集めた『病草紙』という絵巻物なのですが、歯周病でご飯が食べられないという場面です」
かわいそうな場面ですが、お膳を見ると、ご飯が山盛りですよね。こんなにご飯を食べていたんですか。そういえば先ほどの宴会料理でもご飯が山盛り出てきますよね。

画像提供:ACフォト

平安時代は分かりませんが、鎌倉時代の武士は1日に5合食べたそうです。しかも、加えてお酒も飲んでいたわけですよね。当時のお酒といえば、今でいうどぶろくみたいなもので、カロリーも非常に高い。昔の食生活は意外と糖尿病を誘発しやすいものだったのかもしれません。

画像提供:ACフォト

そうそう、病気といえば『源氏物語』の「帚木の巻」に出てくる、有名な“雨夜の品定め”のシーンに、風病が治らなくて薬草を飲んでいる女性の話が出てきます。
雨が降り続くある夜、光源氏、頭中将、左馬頭、藤式部丞の4人が恋バナをするという場面です。
その時、藤式部丞が付き合っている女性の元を久しぶりに訪ねたら“病気のために極熱の薬草を服用していて臭いので、お会いできません”と断られたという話をします。
先生曰く「その草薬とは、絶対にニンニクですね」

伏籠

画像提供:山田松香木店

ニンニクは料理の風味付けなどにするものではなく、薬にしたんですね。
「食べてもいたと思いますが、当時ニンニクは薬として認識されていました。恐らく煎じて飲んだのだと思います」
それはかなり匂いがきつそう! 煎じたものを飲んでいたら、口臭だけでなく髪や装束にも匂いがつきそうですよね。
「平安時代は、伏籠を使いお香を装束にたき込めたりして体臭を消していたので、そういうものを使って、かなりニンニク臭をごまかしていたんじゃないかと思います」。

『たま藻のまへ 2巻』(京都大学附属図書館所蔵)

画像:『たま藻のまへ 2巻』(京都大学附属図書館所蔵)

平安時代の食文化のお話はいかがでしたでしょうか。
伺ってみて思ったのは、現代と似ているところもあれば、全く違うところもある平安時代の食事。最大の違いは味付けのような気がしました。そして宴会では山盛りの料理が並ぶことが、ご馳走だったのだと思います。
みなさんも本やドラマなどでこの時代の食事風景を読んだり見たりするとき、ぜひチェックしてみてくださいね。


◾️◾️取材協力◾️◾️

鳥居本幸代(とりいもとゆきよ)先生

鳥居本幸代先生

京都生まれ。同志社女子大学卒業。京都女子大学大学院修了。家政学修士。専門は平安朝服飾文化史および、平安朝を中心とした衣食住に関わる生活文化史。神戸女子短期大学助教授、姫路短期大学助教授、姫路工業大学助教授を経て、2003年より京都ノートルダム女子大学教授。2018年定年退職。現在は京都ノートルダム女子大学名誉教授。著書に『平安朝のファッション文化』『雅楽-時空を超えた遙かな調べ-』『千年の都 平安京のくらし』『紫式部と清少納言が語る平安女子のくらし』(いずれも春秋社)など多数

◾️◾️参考文献 ◾️◾️

『紫式部と清少納言が語る平安女子のくらし』(春秋社)
『別冊太陽 有職故実の世界』(平凡社)
『紫式部日記 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫)
『源氏物語 付現代語訳』 (角川文庫)

 

 

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