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平安時代の「しつらえ」に注目〜平安貴族ライフを知る〜

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平安時代のしつらえ

大河ドラマでも注目の平安貴族。そんな平安貴族たちが住んでいた寝殿造の建物。いったい、中ではどのような生活をしていたのでしょうか。その一端を垣間見てみましょう。

貴族の住まいはフローリングのワンフロア

東三条殿復元模型

「東三条殿復元模型」画像:京都文化博物館所蔵

紫式部や清少納言が活躍した10世紀中頃の平安貴族は、寝殿造の家に住んでいました。特に藤原兼家(道長の父)などの、宮中での位階が三位以上の上級貴族(公卿)は、一町(約120メートル)四方という広大な敷地に住むことを許されていたのだとか。
寝殿造では建物の四方に築地塀をめぐらせ、主となる建物を「寝殿」といい、その東・西・北に対(たい)と呼ばれる建物を建て、それぞれを渡殿(渡り廊下)で繋ぎ、寝殿の南にはを造りました。さらに池の東西には釣殿泉殿を置くという、とても豪華なものでした。

寝殿イラスト

内装は御所の清涼殿(天皇の御座所)と同じく、母屋(もや)と呼ばれる中央部を中心に廂(ひさし)簀子(すのこ)という三重構造。室内は基本的に全フローリングで、壁で仕切られた塗籠(ぬりごめ)と呼ばれる小部屋以外は、部屋が分かれていないワンルームのスタイルです。
塗籠は寝室として使っていたこともあるそうですが、基本的には装束やお香、書物など、宝物を入れておいた蔵のようなところだったのだそうです。

寝殿造
広い空間に丸柱だけが立っていて、そこに御簾(みす)や壁代(かべしろ)を下げたり、パーテーション的な屏風(びょうぶ)几帳(きちょう)を置いたり、襖障子(現在でいう襖)などで空間を仕切りました。写真で言うと、手前が簀子、右が廂の間です。
なんだか部屋が区切られていないのは使いにくそう…とも思いますが、逆に部屋のサイズが決まっていないので、儀式や宴会の時はワンフロアに、またプライベート空間を作りたい時は几帳を四方に立てて囲ったりと、色々な形に対応できるので便利だったのかもしれません。

パーテーションで区切れば、様々な用途に使えます

それでは、まずは当時の人たちがどうやって部屋を仕切っていたのか見てみましょう。

御簾(みす)

打出

廂や暗い側が見えない構造になっていて、母屋や廂の間(ま)の間などに下げ、貴人の姿が見えないようにしました。
写真では女性が装束を少しだけ出し、重色目(かさねいろめ)を見せています。これは「打出(うちいで)」というもので、美しい衣裳を見せて場の華やかさを演出しました。

几帳(きちょう)

几帳

木製台の上に二本の柱を立て、上に横木を渡して帷子(かたびら)と呼ぶ薄い絹布を垂らしたもの。貴人の側に立てて人目を避けたり、風を遮ったりしました。

源氏物語

「明石」 「澪標」 「蓬生」 「関屋」「絵合」 『源氏物語』 絵巻 ”Akashi”, “Channel Buoys” (“Miotsukushi”), “The Wormwood Patch” (“Yomogiu”), “Gatehouse” (“Sekiya”), and “Picture Contest” (“E-awase”) chapters from the Tale of Genji (Genji monogatari)|Muromachi period (1392–1573)|Image via Metropolitan Museum of Art 
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/670913

上の絵でも分かるように、一部は縫わずに「几帳のほころび」と呼ぶ風穴をあけておき、そこから垣間見(かいまみ)られるようになっていました。『源氏物語』では、このほころびから姫君を覗き見るシーンが度々、登場します。

襖障子(ふすましょうじ)

襖障子

現在、私たちが襖(ふすま)と呼んでいるものです。母屋に壁はありませんが襖障子で仕切ることができました。襖障子には、写真のように鹿皮の素敵な取っ手などが付いています。横に引いて開け閉めできるものもあれば、はめ込み式になっていて、不要時には外すことができる立障子もありました。

壁代(かべしろ)

壁代

几帳と同じく薄い絹でできていて、御簾などの内側にかけるものです(矢印が壁代)。壁の代わりとして使いました。下に棒が付いているので、巻き上げることができます。

 

移動式家具で模様替えが楽々

室内にはタンスやベット、化粧台といった備え付けの大型家具はなく、スペースや目的に応じて移動可能な家具が配置されました。

御帳台(みちょうだい)

当時の家具で一番大きいのが、この御帳台ではないでしょうか。御帳台は、家の主人が使うベットルーム。写真では少し分かりにくいのですが、奥に見えるのが御帳台です。本の支柱に帷子を垂らしたもので、分解や移動が可能。昼間は休憩するのにも使われました。中には「八稜鏡(はちりょうきょう)」と呼ばれる魔除けの鏡が掛けられます。

類聚雑要抄

画像:東京国立博物館提供 類聚雑要抄_巻第2(江戸時代)https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1841

こちらの絵は平安時代、東三条殿の室内と調度について記した『類聚雑要抄(るいじゅざつようしょう)』の写し。ここにも御帳台が描かれています。このような感じで置かれていたのですね。

二階厨子(にかいずし)

二階厨子

両開きで扉の付いた棚で、櫛箱やお香の道具、文房具などを飾りました。
蒔絵(まきえ)などで美しく装飾され、江戸時代には嫁入り道具のひとつになったのだとか。

高燈台(とうだい)/高杯灯台(たかつきとうだい)

当時は灯りも全て移動式。高燈台(右)と高杯灯台(左)は電気スタンドのようなもので、油を入れた燈盞(とうさん)という皿に燈心(とうしん)を浸して火をつけ、周囲を照らしました。

身だしなみを整えるのに欠かせない道具もあります

いつの時代も、身だしなみを整えることは大人のマナー。平安時代の人々の身支度を整えるのに使っていた道具とは…?

角盥(つのだらい)

 角盥

今でいう洗面器のようなもの。左右に2本ずつ、角のような持ち運びのための取っ手が付いていることから名づけられました。

籠(ふせご)

装束に香りをうつす道具。その名の通り、籠を伏せて使いました。

火取

籠の中には「火取(ひとり)」(写真)と呼ばれる香炉を入れ、お香を焚きます。当時、お風呂にはなかなか入れませんでしたから、匂い消しの役割もあったのかもしれません。
『源氏物語』の中でも有名な「雀の子を、犬君が逃がしつる、伏籠の中に、籠めたりつるものを」(雀の子を伏籠の中に入れておいたのに、犬君[女の子の名前]が逃がしたの)という場面で使われているのが、これです。香を焚きしめるのに使う伏籠の中に雀の子を入れておいたのですね。

今回は、平安貴族の住まいについてご紹介させていただきました。
寝殿造の室内はフローリングで仕切りなしのワンフロアですが、パーティションや照明器具があり、チェスト的な二階厨子や香りを楽しむ道具など、今の私たちの生活に似たものがたくさんありました。
平安時代もののドラマや小説、漫画を読む際には、ぜひチェックしてみてくださいね。

お話を伺った方

鳥居本幸代(とりいもとゆきよ)先生

鳥居本幸代先生

京都生まれ。同志社女子大学卒業。京都女子大学大学院修了。家政学修士。専門は平安朝服飾文化史および、平安朝を中心とした衣食住に関わる生活文化史。神戸女子短期大学助教授、姫路短期大学助教授、姫路工業大学助教授を経て、2003年より京都ノートルダム女子大学教授。2018年定年退職。現在は京都ノートルダム女子大学名誉教授。著書に『平安朝のファッション文化』『雅楽-時空を超えた遙かな調べ-』『千年の都 平安京のくらし』『紫式部と清少納言が語る平安女子のくらし』(いずれも春秋社)など多数。

■■撮影協力■■

風俗博物館 

■■参考文献 ■■

『紫式部と清少納言が語る平安女子のくらし』(春秋社)
『別冊太陽 有職故実の世界』(平凡社)
『紫式部日記 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫)
『源氏物語 付現代語訳』 (角川文庫)
『あたらしい平安文化の教科書』(翔泳社)

 

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